師走きたりて、粉雪舞う

先日、機動戦士ガンダムNT(ナラティブ)を映画館で見てきました。
青森県では、下田(八戸の近く)でしかやってないんですよね、NT。
なので、青森市から車で片道二時間以上走って、レイトショーで鑑賞。
凄く面白かったし、見てよかったと思えるガンダム作品でしたね。
今からネタバレでいろいろと書くので、未見の方はご注意の程を。
個人的には、ガンダムの新作映画が作られる、これだけで尊い
そして、作画も演出も素晴らしく、最新の面白さが凝縮されてました。
100分のフィルムに、躍動するMSの濃密な描写がてんこ盛りですね。
ではでは、ネタバレの部分を交えて、少し感想を語りたいと思います。


・あらすじ
UC0079年、三人の少女が奇跡を起こし、多くの人々を救った。
コロニー落下を予知し、町の人々を避難させて喝采を浴びたのだ。
だが、奇跡の子となったヨナ、ミシェル、リタを悲劇が襲った。
ニュータイプ被験体としてティターンズに保護され、実験動物に。
そして、真実は残酷…実は、能力者はリタだけだったのである。
ヨナとミシェルは、リタのニュータイプ能力に感応しただけだった。
そして、ミシェルはその真実を利用し、リタを売って施設を出る。
時は過ぎて、UC0097年…ラプラス事件を経ても変わらぬ、地球圏。
今や技術的特異点として封印された、ユニコーンガンダムの3号機…
暴走し彷徨うフェネクス捕獲のため、ルオ商会のミシェルが動く。
かつて一緒だったヨナをパイロットとした、ナラティブガンダム起動。
しかし、二人は知っていた…フェネクスにはリタが乗っている。
否、かつてリタだったものがフェネクスに宿っているのだ。
未知の物質サイコフレームは、魂を記憶し保存することが可能か?
だとしたらそれは、肉体の死を超えた神の領域への入り口では?
だが、ネオ・ジオンの袖付き残党もまた、フェネクスを狙う。
そして、禁忌の兵器2ネオジオングが暴走、地球は危機に陥る。
奇跡の子と呼ばれた三人は、三人でいられなくなりながらも…
最後にはフェネクスの力を使い、未曾有の災害から地球を救ったのだ。


まず、非常にアニメーションの質が高くて、戦闘シーンが最高。
ユニコーン自体が、古いガンダムファンの同窓会アニメだしね。
前作にも増してマニアックなMSが出るし、前作との関連性もニヤリ。
俺の大好きなジェガンジェスタも大活躍、これは嬉しいですね。
因みに小生、シェザール隊仕様のジェスタを三箱も買っちゃった。
おのれプレバンッッッ!しゅきいいい!買っちゃいまひゅうううう!
今後はディジェや敵の女性士官用ギラ・ズールも出そうですよね。
なにより、ナラティブガンダムが魅力的に描かれてて興奮しました。
やはりロボットアニメは、主役メカの格好良さがとても大事だね!


物語の脚本に関して、これは創作全てがそうですが好みがある。
創作物には優劣や貴賤はない(法の制限はありますが)のです。
俺の持論ですが、良し悪しは主観が決める、つまり好みです。
100人いれば100通りの好みがあるので、客観視は無理ですね。
主観でしか語れないのが創作物で、絵も文もアニメも一緒です。
で、ナラティブのストーリーはですね…俺は面白かったです。
まず、主軸となる三人のキャラクターの悲劇が、胸を打った。
ガンダムという作品の中で、ニュータイプという要素は特別。
そのことに、宇宙世紀の世界観と価値観で挑んだ内容でしたよ。
現実の我々と違って、優れた人類が現れ始めたらどうなる?
祝福できるか、呪うしかないのか、どう扱うか、どう使うか。
ご存知の通りニュータイプは「超わかりあえる人」って感じ。
広過ぎる宇宙では、光通信すらもタイムラグを生んでしまう。
しかし、ニュータイプは時間と空間を超えてわかりあえる。
相手を理解し、自分を伝える能力だと、俺は解釈してます。
しかし、ニュータイプとはエースパイロットの代名詞でもある。
相手の行動や思考が読めて、鋭い直感で危機を察知する戦士。
祈りが呪いと表裏一体であるように、悟りは戦いで有利となる。


個人的には、ニュータイプって価値観は仕事を終えてる気がする。
もう、富野御大が宇宙世紀でやりつくして、Gレコで軽く触れただけ。
優れた能力を正しく使えないことが、悲劇と喜劇を見せてくれた。
F91の時代にはニュータイプは、忘れ去られたエースの別称だった。
クロスボーン・ガンダムの中では、進化ではないと語られた。
もう何十年も前に、ニュータイプに関する結論は出てるのかも。
つまり、生みの親の一人、富野御大が「いらない」と結論づけた。
わかりあえちゃうことより、わかりあおうとすることが尊い
そして、先鋭化した精神性よりも、物質的な肉体を見直した。
単純な「抱き合えるっていいね」「健康最高!」な気がするな。
だから、劇場版Z三部作ではラストが変わって、それが十年以上前。
ニュータイプはもう、新しいものではなく、クラシックなんだ。
その上で、ニュータイプを語ることが気持ちいい世代がいる。
それは多分、1stガンダムの時代に新世代と呼ばれた大人達だ。
だから、福井晴敏先生はユニコーンとナラティブを書いたと思う。
氏は宇宙世紀以外のガンダム、富野御大以外の作品を否定してる。
最近は言動が目立たないけど、ガンダム原理主義者なんですよね。
だから、繰り返しニュータイプを語らないと、気が済まない。
作風も世界観も変えて、新しいガンダムを生み出すことができない。
でも、それが好きになるってことの本質だし、呪縛でもある。
俺自身、物書きとして凄く気持ちがわかるし、それで氏は稼げる。
好きが仕事として成立し、未練満載な偏愛で人を楽しませられる。
それは凄いなって思うし、羨ましい、そしてリスペクトできる。


さて、アニメ単体として見て、ナラティブは非常に面白い。
純粋に娯楽として見てワクワクするし、とても感情を揺さぶられる。
ただ、今の俺が求めてるものとは、ちょっと違うような気もした。
逆に、少年時代の自分を見てるようで、心地よい気恥ずかしさもある。
本当に、古き良きガンダムで、クラシックなの、ベートーベンなの。
ロックでもジャズでもなく、AKBでもなく、クラシックなのよね。
だからもう「ガンダムしぐさ」「ガンダム作法」のオンパレード。
本当に強化人間のヒロインは、殺さなきゃいけないんでしょうか?
どうしてナラティブガンダムにはコアブロックがあるんでしょうか?
デンドロビウム的なのはやっぱり、出さなきゃいけないんでしょうか?
創作物には二種類の「何故ならば」があると、俺は思っているんです。
一つは「何故ならば、世界観やドラマに必要で、その一部だから」です。
もう一つが「何故ならば、作品の外の世界の制作者が好きだから」だね。
良し悪しではなく、善悪もないですが、このバランスは凄く大事。
で、ナラティブには後者がぎっしりと詰まってて、胸焼けしちゃう。
どんな素晴らしい要素も、他の要素と噛み合ってないと浮いちゃう。
でも、ナラティブを構成する要素の多くは「ガンダムらしさ」なの。
過去作品で好まれた要素を寄せ集め、パッチワークした印象は拭えない。
厳しい言い方をすれば、新しさが全く無い作品でもあるんだよね。
ただ、じゃあベートーベンを聴く人はいないか、価値のない音楽か?
それを決めるのは、作品と向き合う一人一人の主観しかありえない。
俺はもう、宇宙世紀の隙間を埋める作品は、趣味でとどめてほしいかな。


あと、正直に言ってナラティブには、ガンダムシリーズの地獄がある。
需要がある限り、宇宙世紀の物語を供給せねばならない無限地獄だ。
今やガンダムシリーズは、多種多様な世界観を持ち、広がっている。
常に新しさが生まれ、既に宇宙世紀はスタート地点でしかない。
リアルな兵器としてのロボット描写、人間ドラマ、国家と戦争、おっぱい…
どのガンダムにもそれぞれの描き方が試され、それぞれに評価されてる。
ただ、オリジンである宇宙世紀という舞台は、今でも欲されているのだ。
だから、新しい物語が差し込まれ、従来の物語が生んだ希望を侵食する。
俺だって、ラプラス事件で地球連邦とジオンが変わるなんて思ってない。
でも「なにも変わらなかった」でまたドンパチやられたら、凹むよね。
可能性の獣が見せた物語が、最後に希望を生んだ…ユニコーンは傑作だ。
長かった連邦とジオンの戦いも、こうしていつかは歴史になってゆく。
それなのに、まだ戦いは続いている、戦いを望む人達がいて終わらない。
ある意味リアルだけど、地獄だ…救った上でまた、叩き落とすやり方。
加えて言えば、あたかもこれが人類の本質だといいたげで、さとい。
変にさとくて、ただ現実同様の悲劇を見せてこれぞガンダムだ!って…
それもいいけど、もう1stでさんざんやったし、それ以降やりすぎたでしょ。
もうガンダム作品はどれも、新しい方向にそれぞれ進んで、多様化してる。
ナラティブの極端なガラパゴス作風は、逆に新鮮に思える位で興味深い。


で、邪推ですけどね…ユニコーンを第二の1stガンダムにしたいのかな?
かつて1stで人気を確立したガンダムには、ZやZZといった続編が生まれた。
同じ世界観で、時間を経て語られた直系の作品で、逆シャアまで続いた。
これらは全て1stの子であり、その血統は逆シャアで役目を終えた筈だ。
F91では時間を大きく動かし、沢山の設定や価値観を刷新して始められた。
でも、ユニコーンガンダム同窓会、忠実に1stからの血を色濃く受け継いだ。
そして、これから「ユニコーンを1stとした神話」が始まりそうで、恐い。
ナラティブの中で語られるユニコーンは、神か奇跡か聖遺物か、って感じ。
サイコフレームという設定が独り歩きしてて、なんだか少し気色悪い。
同時に、陳腐化してゆく気がしてとても居心地が悪いのも事実である。
ユニコーンが次の1st、バナージが次のアムロですよ…とでもいいたげ。
そんな印象を受けたナラティブには、ある種の歪な閉塞感が滞留している。
でも、そういう作品を作ってしまう人達の気持ちが伝わってくるんだな。
俺だって、ガンダム書いていいよって言われたら好きに書きたいもん(笑)


あ、さて…最後に一つ、ナラティブガンダムの格好良さは凄くよかった!
なのに!それなのに!なんだよあの扱い、なんでもっと活躍させれないの?
主人公のヨナが中途半端な腕前なのを差し引いても、凄く納得できない。
三度装備を変えて登場するも、いいとこが全くない、終始苦しそうなんだ。
それは、ナラティブチャレンジでお馴染みのキービジュアルにも通じる。
なんでナラティブガンダムは、こんなに痛めつけられ、扱いが悪いの?
個人的にタイトルロールのガンダムって、要所要所で強くあってほしい。
昔のSEEDのディステニーガンダムを思い出した、あれも不幸な機体だった。
そういえばSEEDは「21世紀の1stガンダム」を謳い文句にしてましたね。
リアル視聴した昔は、俺もイキリガノタで失笑ばかりしてたんだけどさ…
でも、SEEDはちゃんと新しい場所を見つけ、その土に種を植えたんだよね。
俺は今でもSEEDの監督と脚本は最低だと思うけど、志は確かにあったと思う。
ガンダムとして云々じゃない、SEEDはアニメ作品として質が低いだけなんだ。
それと、ナラティブガンダムに関してさっぱり語られず、ひたすらに弱い。
しかも最後、おまwwwww予想通り腹からコアファイターで脱出wwww
結局「強いフェネクスに乗り換えた、勝利!」かよ…なんだよそれはさ。
ナラティブは作中「痩せっぽち」と侮蔑され、揶揄される…それはいい。
ちゃんと装甲も着てないし、装備はどれも評価試験中の怪しいものばかり。
そういう「メカとしての魅力」が「物語の面白さ」に全く繋がってない。
しかも、コアブロックやナラティブの言葉の意味が、全く語られない。
νガンダム建造の際に生まれた、実験用の機体という設定も語られない。
何故、ナラティブガンダムが活躍しちゃいけないのか?テーマに沿ったから?
苦しむヨナ達を体現してると見たが、それは見てて気持ちよくはないぞっと。


いろいろ思うままに語ったんですが、見れてよかったです…面白かった。
福井晴敏さんは今、ムーンガンダムの原作も手がけ、宇宙世紀一筋ですね。
∀ガンダムの小説も書いてますが、あれも富野ワールドなんですよね。
あくまで富野御大のフォロワーとして、保守的なガンダムを守り続けるのか。
それはいいし、俺もそうしたい時があるし、とてもよくわかるんですよね。
あと、福井晴敏さんって、ガンダムにおけるイエス・キリストなんですよ。
キリスト教がもともとはユダヤ教から枝分かれした、これなんですよね。
当時、ローマ帝国の中で「ヤベェ新興宗教」だったキリスト教なんです。
やがて二千年たって、世界一の巨大宗教になるキリスト教も、最初はこう。
富野御大が生んだユダヤ教を下地に、より先鋭化させて突き進んでる感じ。
他のガンダムは仏教作ったりイスラム教作ったりと、独自に進んでる。
でも、福井晴敏さんはあくまでユダヤ教ベースの教えしかしないって感じ…
そして多分、今のキリスト教のように、いつかこれがメインストリームに。
ま、どうでもいいんですけどね…なんか、作品もオカルトガンダムでして。
つい、こんなことまで書いてしまった、不快に思った方はゴメンナサイ。
とりあえずジェガンジェスタが大活躍なので、個人的には5000兆点です!