TV版ガンダムUC、完結しましたね。

こんばんは、お疲れ様です。
残暑厳しくも風涼しい、秋近しといった感じですね。
暦の上ではもう秋なんですが、青森は日差しがまだまだ強いです。
毎日ほぼ家に引きこもってる自分でも、季節のうつろいを感じますね〜


先日、ガンダムUCのTV版がエンディングを迎えました。
ガンダムUCは自分の中では、とても複雑な想いを抱かせる作品でした。
文芸発の宇宙世紀ガンダムという、とても魅力的なコンテンツパワー。
同時に、節々から感じる作者の「こうでなきゃ駄目なんだよ!」という念。
結果、最新の小説と映像とで、新しさの少ない閉鎖的空気を作ってしまった。
そうも思える反面、ロボットが躍動するアニメーションの美しさに驚嘆。
そして、文章媒体でこの基礎を描き切った福井晴敏先生を賞賛してしまう。
ただ、やはり自分は「なにかを否定して浮き上がるもの」が、好きになれない。
リップサービスだとしても、アナザーガンダムは邪道的発言は、少し気になる。
せっかくガンダムUCが素晴らしい作品なんだから、それだけで十分だと思うな。


さて、ガンダムUCに関する「その後」について、少しだけ語ろうと思う。
ご存知のように、この後「閃光のハサウェイ」のエピソードが待っている。
シャアの意志を継ぐ男が、まさかハサウェイになるとは誰も思うまいて…
この、逆シャアと閃ハサの間にUCが挟まったことで、世界が見えてくる。
クェスを殺してしまった慙愧の念だけが、ハサウェイを縛ってるのではない。
現実にラプラス事件の傍観者だったこともまた、彼の決起を促したのだ。
シャアの再来が率いたネオ・ジオンは敗退、ジオンは完全に潰えた。
しかし、燻ぶるハサウェイの中に「シャアではなく、シャアの理想」が宿ったのだ。
フル・フロンタルがシャアから夢や理想、希望を取り除いた大人だと俺は思う。
逆にハサウェイは、フル・フロンタルが捨てた全てで構成された子供だったんだ。
そういう補完の遊びを視聴者が楽しめる、それもまた醍醐味だと思うな。
余談だけど、ガンダムUCに登場したグスタフ・カールというMSがある。
あれが後の閃ハサでハサウェイたちマフティーに立ち塞がる敵MSなのだ。


更に宇宙世紀の時間軸を進めると、F91のコスモ・バビロニア建国戦争がある。
この時代になってようやく、薄々感じてた連邦の弱体化がはっきりするのだ。
奇しくもそれは「傑作機ジェガン(大型MS)が最新鋭小型MSに敵わない」という形で…
あまりにもわかりやすい視覚的なセンセーショナルさで、露呈してしまうのだった。
既に地球連邦に求心力も指導力もなく、形骸化した中で腐敗、弱体化していた。
それが辺境のフロンティアサイドで、貴族主義の台頭を許してしまったのである。
民主主義が腐敗したので、民心が「清き心と志」を求めてしまった結果である。
それがそのまま「腐敗した平和」より「気高い戦争」を選ぶ形になってしまった。
そして、コスモ・バビロニア建国戦争は失敗の中に、新たな希望を生むことになる。
時を同じくして暗躍していた、木星圏…木星帝国の野望へのカウンターとなった。
コスモ・バビロニア残党は宇宙海賊クロスボーン・バンガードを名乗り、決起。
この、地球滅亡を企む木星帝国に対し、地球連邦は全くの無力であった。
結果、義勇兵とも言える宇宙海賊によって、地球が二度も守られる自体が発生する。
地球連邦軍の組織的弱体化」と同時に「ゲリラ的パルチザンの誕生」が顕在化…
そしてそれは、Vガンダムの時代にリガ・ミリティアを生むことになるのである。


宇宙世紀0000元年に端を発する、地球連邦政府の誕生と発展、そして衰退。
真の宇宙世紀憲章というラプラスの箱は、その中でなにも意味をなさなかった。
それは当然のことで、ガンダムUCという作品の根幹をなすメッセージでもある。
「宇宙に適応した人類が生まれたら、政治に積極参加を」という言葉の意味…
それは、宇宙への棄民政策をやむを得ず決断した人間たちの、祈りであった。
しかしそれは、テロの中で隠蔽され、宇宙と地球の民にとっての呪いとなった。
蓋を開けてみれば、ラプラスの箱のその文言は、なにも持たない言葉だが…
それを恐れた者たちに力を与え、いつしか禁忌となってしまったのである。
ガンダムUCの最終回の、その後何ヶ月かはニュースとなり、議論されるだろう。
だが、後の歴史を見る通り、ラプラスの箱などにはなんの力もないのだ。
ただの「有名なテロ事件の遺跡の一部」でしかなく、それ以上の価値もない。
ニュータイプの存在を地球連邦が、どこかで望み、待っていたという証…
それはただ、「当時そうだったらしいよ」で終わり、やがて風化し忘れられる。
あのリアリズムしかないフル・フロンタル固執した箱の正体が、これだ。
旗艦レウルーラ等、残存戦力をほぼ失ったネオ・ジオンは瓦解、消滅する。
そして、呪いとなった祈りもまた、その呪縛を解かれて消えていくのだった。


最後に、ガンダムUCという作品が結構好きで、でもなんかという俺の気持ち。
こういう面倒臭さがあって、それを最高にこじらせてる今だから、言える。
多くのクリエイターが40年近く携わってきた、ガンダムという作品群…
それが今、極めて好ましいサーガを形成しているな、という一つの実感。
今の時代にやっと、ガンダムUCみたいなのが出て、受け入れられる世界。
それを支えてきた多くのクリエイターや関係者の尽力に、心から感謝したい。
俺はあらゆるものに対して、多様性があったほうがいいよな、と思っている。
多様性があるからこそ、こうした王道な宇宙世紀の懐古的作品が光るのだ。
次は10月から鉄血二期、とても楽しみである…ガノタで今、幸せである。