恩讐入り組む暗い話

差別というものは、無知からくるのではないだろうか。
決して覆らない、元には戻らない、取り戻せない喪失への差別。
自分もまた、そうなるかもという可能性への、想像力の欠如。
そして、無意識に差別してしまうという、人権意識への認識不足。
無知は罪ではないけし、敵は差別であって、差別する人ではない。
差別をなくするには、善悪ではなく「これから」を話すのがいい。
俺は馬鹿だから、本当に馬鹿だからよくわからないんだけども。
差別してる人を、追い詰めてはいけない…逃げ場を奪っては駄目。
少しずつ一緒に知って、学んで、ゆっくり改めてもらうしかない。
差別すること、これはいけないことだが、全てが悪意ではない。
人間はうっかりすることもあるし、知らないことへは臆病なのだ。


今日は両親の調子が悪いので、友人のガンプラ会を欠席である。
ジェガンはいつでも作れるけど、両親の息子は俺しかいないしね。
週末や祝日は夜、家族三人でよくお酒を飲むのが我が家の風習。
でも、悪く酔ってしまうと、つい心無い言葉がでてしまったり。
そういうこともあって、自分も気をつけなきゃいけないと思った。
あと、やっぱり…半世紀を盲人として生きてきた両親は凄い。
そして、その間に降り掛かった差別の蓄積は、消えない傷だ。
そのことをもっと理解してあげたいし、癒やしてあげたいんだ。
ただ、本当に運が悪いというか、タイミングというか、なんか…


父は長物家の長男として、小さい頃から勉強がとてもよくできた。
しかし、病気で運悪く視力を失い、祖父母は失望してしまった。
六十年前は「目が見えない子供」は、既に死んだも同然なのだ。
それでも生きてるから、死なれる以上に苦痛だったかもしれない。
昔は「障害児は一生座敷牢に隠す」なんてこと、ザラにあった。
父が少年時代に視力を失い…祖父母は、その現実にショックだった。
そして、祖父母は神にすがろうと新興宗教の熱心な信者になった。
その一方で、父には弟がいて、彼は常に兄と比べられて生きてた。
優秀だった父、微妙な叔父、狂信者になってしまった祖父母…
地獄だ…叔父は常に、祖父母に疎まれ、蔑まされてきたのだ。
お前が光を失えばよかったのに、くらい言われてたかもしれない。


そんな中、父は鍼師として自立し、なんとか青森で開業を果たす。
そして、盲学校で出会った母を嫁に迎えて新しい家族を作った。
祖父母はまだまだ宗教まっしぐらで、盲人の嫁が嫌だったのだ。
まず、盲人の長男が盲人の嫁をもらう、これに耐えられなかった。
その上、母は父同様、新興宗教に加わることを拒んだのだった。
さらに、叔父は父の見えないところで母を、兄の嫁をいじめた。
母は幼少期の俺に、姑や夫の弟からの差別を全く見せなかったが…
その苛烈な仕打ちに、どうしようもなく痛めつけられてしまった。
もう、祖父母も叔父も鬼籍に入って、それでも現実は続いてる。
父と母は、まだ差別に苛まれ、蝕まれ、時折どうしようもなくなる。
俺にはできることが少なくて、なんだかとってもやるせない。


差別からくる嫌悪、憎悪、そして忌避…物理的な仕打ち、害悪。
そうしたものは呪いとなって、ずっとその人の人生に残り続ける。
俺自身、まだ自分の病気を母が認めかねてる姿を見ると辛い。
俺は障害者手帳三級だけど、一級の母にはどうしても難しいのだ。
俺の病気も、母から見るとなんだかよくわからないものなのだ。
差別はこうして、無知から来たりてじわじわと全てを侵食する。
俺自身、今までの人生で多くの諍いを経験し、嫌い嫌われである。
もっと人に優しくなりたいし、偏見を捨てて誠実に生きたいな…
心無い言葉が、決定的に人を傷付けてしまう、それは残酷だから。
難しいけど、できる範囲で両親の残りの人生を豊かにしたげたい。
それだけが、どうしようもない俺の残りの人生の全てだと思う。
そして、差別との戦いは糾弾や断罪ではなく、ゆっくり諭すことだ。
だからこそ難しい、でも困難でもゆっくり落ち着いてやるしかない。
俺の人生は両親と共にあるからこそ、いい息子になるよう頑張るぞい!