人の夢と書いて「儚い」

男の浪漫と書いて「はかない」…パンツはかない女の子は夢ですよね!
まあでも、もろだしも好きですがやっぱりパンツははいてて欲しいかな。
なんでしょう、チラリズムというか、隠すべきを隠した方がイイみたいな。
反対意見も多数かと思いますが、自分は「パンツはくべき」だとオモイマス!
スカートの中がパンツじゃなかったら、ちょっと損した気分じゃないですか。
それはもう、がっちり隠して欲しいもんです…パンストとかバッチコイです。
なんだろうな、パンツって「隠す」と同時に「飾る」役目もあるというか。
あ、はい、スミマセン…今日はパンツの話がしたかった訳じゃないんです。


週刊モーニングの編集長が「夢を追うこと」に関する持論を展開したらしい。
それが今、ツイッター上の一部の人達の間で、熱い議論になってると聞いた。
要約すると「夢を諦めた時、自責の念を必要以上に感じ過ぎるな」って話…
らしいのだが、「夢はいつか叶う」という理念を持つ人達から反論も出た。
夢というのは不確かな物で、しかし人はこれを持たねば生きてはいけない。
誰にだって大なり小なり夢があるんじゃないかな…ない人もいるだろうけど。
人には人の現実的生活があるから、夢を考える余裕がない人だっているしね。
で、夢に向かって努力する場合、リスクとコストが発生するのは自明の理だ。
「無駄な努力=結果に結びつかない」というリスクはとても大きい時がある。
「夢の実現に向けて、それを支える資金や時間」というコストも発生する。
夢を追う事はロマンチックでもなんでもない、実際的な生産活動の一環なのだ。


この件に関しては、俺はひょっとしたら話題に触れない方がいいかと思った。
俺が多分に「夢を叶えた人」に周囲から見られてるかもしれないと感じたから。
でも実際には俺自身は、夢へ一歩近付いたとしか思っていないんだよね。
まだまだ全然、俺の思い描く夢には遠いよ…確かに一歩、近付いたけどね。
だから周囲が羨んでも、俺はまだまだ満たされないし、これからも研鑽さ。
ハングリーに貪欲に、勉強しなきゃいけないし、もっと自分を磨かなきゃ。
そうまでして追い求める俺の夢は、ちょっと恥ずかしいから明かせないけど。
夢への道程は「物書きとして自立すること」で、その経験を沢山積むこと。
俺に関してはそんな感じ、まだまだ全然満たされてないし、俺はまだ拙い。
だからこそ、今まで以上に挑む気持ち、打ち込む熱意を忘れたくはないな。


プロ棋士の世界には年齢制限があるというのを皆さんはご存知だろうか?
奨励会という所でプロ棋士志望の若者は腕を磨くが、年齢制限があるのだ。
プロ将棋の世界は厳しいけど、明文化された分水嶺がはっきり存在する。
将棋で飯を食おう!という夢を抱く者の、可能性を生かす為だと俺は思う。
例えば、本人がいくらプロ棋士を目指しても、実力及ばぬ時があると思う。
そんな時、他の生き方へ方向転換できるよう、年齢制限があると理解してる。
具体的には、◯歳までに◯段になれ、なれないなら奨励会から追い出す、と。
本当はもっと細かいけど、こういう制度が将棋界では明文化されているのね。
それでも将棋がしたい人はアマチュアで腕を上げてプロに挑むこともできる。
でも、奨励会という「プロの登竜門」にいられるのは、限られた人間だけ。
俺は制度側がきっちり一線を引くというのは、いいことだと思うけどもな。
ただ、どんな形であれ夢を追うことをやめた時、違う生き方へシフトする時…
負けたという気持ちにはならなくてもいいんじゃないかな、って話なんだよね。
夢への関わり方は色々だし、夢の追い方も様々だと俺は思うから…駄目かな?
ただ言えるのは、自分ができるベストを尽くして、結果を受け入れること。
これに尽きる…俺は自分にもそれを課して戒め生きてるつもりだけどな〜