あくまで個人的な意見

昨夜のW杯最終予選豪州戦の日記をあちこちで見かける。
俺も色々と思うところがあるので、自分の気持を記しておきたい。
基本的にミーハーなにわかファンであることのみ、了承いただきたいかも。


選手に個性を求めることはあっても、ジャッジに求めることはないと思う。
ジャッジに必要なのは、絶対的な公平さ、公正さ…厳正な正確さではないか。
よりよい競技運営のために、これを追求するのは当然のように思える。
では現状、国際サッカーはどうかというと、必ずしもベストとは思えない。
もっとよくなると感じるし、具体的にどうすればいいか考えるべきだ。
ジャッジにムラがあってはいけないと俺は思うんだけど、世間は違うらしい。


よく「あれはああいう審判だから」という意見を、昨夜以降見かける。
個人的には、これはなんだか納得できない…不条理、理不尽に感じるのだ。
ジャッジに公平性がなければ、競技の運営に支障が出ると思うんだけども。
端的に言えば、ジャッジは「正確に競技を裁定するマシン」が理想だ。
あくまで俺の私見だが、選手にとっても観客にとってもそれがベストと思う。
だから国際サッカーでたびたび見られるミスジャッジ、主観的ジャッジ…
これらが俺には我慢ならない、「そういうものだ」では納得しがたい。
人間はミスをする動物という前提を元に、チェック機構を設けてはどうか?
複数のカメラと、その画像をチェックする人員で、ジャッジを補佐するのだ。
試合中は常にジャッジの裁定に対し、画像を元に複数人で答え合わせをする。
ミスジャッジが有った際は即座にゲームを止め、正しい裁定で再開させる。
基本的にはレフェリーがミスしなければ、裏方の出番はない訳だけど。
もしミスが生じた場合、すみやかにリバカリーというのがいいんじゃなイカ
理想論で実現不能に聞こえるかもしれないが、より良い物を求めるのは当然。
ミスジャッジの度に俺はサッカーから心が離れる、あの気持ちが嫌なのだ。


これは野球の話だが、昔の甲子園で三沢高校が決勝戦を戦った時の話だ。
引き分け再試合となった名勝負の中で、球審が判定に私情を挟んだのだ。
「この名勝負がフォアボール押し出しで終わるのが忍びない」とか…
そういう心境から、ボールの球をストライクと判定したと後年語ってる。
許しがたい、度し難い暴挙だと思う、これでは競技の意味が失われる。
ジャッジは私心を捨て、ひたすら正確を期して試合を見定める義務がある。
この話を聞いて以来、俺は人間のジャッジを盲信してはならないと思う。
一握りの人間にジャッジを任せる危険性を知り、それを改めなければ。
どんな競技でもそう、もっとジャッジを正確たらしめる機能を追加すべき。
最新のカメラによる録画等、あらゆる手段を使って公正に努めるべきだ。
…という話を以前、親友として議論が物別れに終わったことが俺はある。
その話をパパンにしたら、パパンも「ジャッジは人間の手で行うべき」と。
多分俺はあれだな、人間を信用してないんじゃないかなと思ったことよ。