侍、頑張った!

WBC準決勝、侍ジャパンプエルトリコに敗れた。
前半を観戦してたが、みんな本当によく頑張ってた!
俺の大好きなマエケンは先発で失点を1に押さえて力投した。
打線は振るわなかったが、プエルトリコの守備陣が妙技を魅せた。
日本は強いが、日本だけが強いわけではないということを知った。
世界の広さを知り、広い世界に散らばる野球の輝きを見た。
残念だけど、この敗戦を日本野球界の財産にして欲しい。
今は侍ジャパンプエルトリコ、両チームを称賛したいな。


閑話休題


父が市の盲人会?の会長に選ばれた、選挙で。
とりあえずめでいたのかなあと思って、今夜は乾杯でお祝い。
家族で飲んでると色んな話をするけど、今日も話題は色とりどり。


第二芸術論というのを皆様はご存知でしょうか。
桑原武夫さんが戦後に出された、俳句や川柳に関する論文です。
有名な俳人の句と、素人が作った句をゴチャマゼにして並べる。
そして「この中に有名な俳人のものがある、どーれだ?」と聞く。
するとどうでしょう、誰も的確に俳人の句を選べないじゃないか!
つまり俳句ってのは、良し悪しがわからない二流のものなんだよ。
だから俳句は、絵画や音楽等の下、第二芸術なんだよって話。
…ちょっと待って欲しい、その理屈はおかしい(AA略
そう思ったが、高浜虚子さんを始めとする俳人達は反論しなかった。
多分「HAHAHAワロス、反論に値せぬ」と思ったのか、それはわからない。
正岡子規さんが生きてれば、毅然と「バカ抜かすなぁ!」と言ったろう。
だが、俺は芸術に優劣をつけることはあまり意味がないと思う。
作品を作る技術論に関しては、これは勿論高さを競う意味がある。
けど、感性にあったものを楽しむのが芸術の根本だと思うんだよな。
だから、俺は俺がいいと思ったものを楽しむし、みんなそうじゃない?


父があわせて、郷土が生んだ風雲児、寺山修司さんを話してくれた。
俳人としても名を売っていた寺山修司さん、早稲田入学後に俳句部へ入部。
この早稲田の俳句部で部長をしていたのが、あの大橋巨泉さんである。
当時は皆で俳句を作り、作者名を伏せて全て並べて貼りだす。
そしてみんなでそれを読んで、どれがいい句かを講評するのだ。
で、「じゃ、この中でいいと思う句をみんな言ってくれ!」と巨泉さん。
すると部員のみんなは、大半が1つの句を選び出して、これがいいと言う。
じゃあ、それを作ったのは誰かと言うと…ほぼ確実に寺山修司さんだった。
毎回、句会をやるたびに寺山修司さんの句ばかりが評価されたという。
寺山修司さんは津軽弁で訛ってて「しゅーず(修司)」と名乗ったという。
大橋巨泉さんは「毎回しゅーずの句ばかり褒められて嫌になった」と。
そう笑って、後にすっぱりと俳句をやめてしまったのだそうだ。


ま、今日はそういう話をして、日露戦争の話と自立支援法を語った。
いかに機関銃の発明が画期的だったかを、俺が延々語ってのけたのだ。
前から滑空銃>旋条銃>機関銃>戦車と、近代戦場の発達は知ってたが。
この、戦車が生まれた背景と進化を一生懸命語ってしまった…てへぺろ
気づいたら母は酔っ払って寝てた、ごめんね退屈な話でごめんね(汗)
ただ、ソビエトの崩壊や天安門プラハの春…世界中の政治の転換期。
こうした事変には必ず、戦車が登場するのは面白いなと思ったな。
エリツィンさんは戦車に囲まれて腰抜かしてヘロヘロだったらしいし。
戦車という兵器は、最強の陸戦兵器である以上の意味を持っているのか。
物語のガジェットとしても非常に魅力的な車両だと俺は思うなあ。
でも、戦車が活躍するようなことがない世界が一番だけどもね。