時事ネタですが

昔、第二次世界大戦前夜のイギリス議会はどんな雰囲気だったと思う?
意外にも「戦争は回避しよう」「ヒットラーとはことを構えたくない」って空気だった。
無理もない、欧州は第一次世界大戦を経験し、その悲惨さに疲れていたのだ。
もちろん、あちこち経済は疲弊し、その歪がナチス・ドイツを生み出した。
イギリスでは再び高まるドイツの脅威に対し、非戦方針を固めつつあった。
その時だ…とある一人の議員が、突然大声をはりあげた。

ヒットラーに騙されるな!」

野次を飛ばした男はその後、イギリスの首相となってナチスと戦うことになる。
名をウィンストン・チャーチル…そう、チャーチル首相その人だったのである。
彼の野次を覚えていた人たちが、彼を首相に押し上げたのだった。
尚、この逸話を引き合いに戦争を肯定しているわけではないことを断っておく。
あと、俺のような戦車好きは、チャーチルさんに足向けて寝られないね(笑)


閑話休題


都議会でとても悲しい事件があった。
少子高齢化への取り組みを語る女性議員に、心ない野次が飛んだのだ。
ニュースをみてる諸兄の皆様方は、もうご存知だと思う。
まず、差別的な発言内容に対して非常に憤りを感じる。
「結婚したらどうだ!」なんて、もし俺が言われたらどう思うかって。
一休さんになっちゃうよ、とんち勝負になっちゃうけどいいの?
「結婚してみせましょう、ではパソコンから嫁を出してみてください!」ってね。
俺の嫁は屏風の虎かっての、なあもう笑えないなあガハハハハ!
俺へなら笑い話になるし、俺と親しい人はそんなこと言わないんだ。
まして見知らぬ人から言われたこともないし、そんな暇人いないと思う。
こうした、相手の事情や背景を無視しての差別発言、これは秘裂だ。
おっと間違えた、卑劣だ…卑怯極まる、俺がいうのもアレだが破廉恥さ。


次に、俺は(あくまで私感であるが)野次そのものが品位がないと思う。
今でもあちこちの議会では、一部の議員が野次を仕事としている。
野次ることには、いったいどんな政治的利点があるというのだろう。
そりゃあるだろうさ、自分たちの存在感を発言権なしに叫べるんだから。
だけど、21世紀に入った今、そうした幼稚さから脱却したほうがいい。
まつりごとの場は、ルールに則り、その枠組の中で粛々と進めるべきだ。
野次にはなんら建設的な効用がないと俺は思う、つまり無駄なんだ。
無駄であると同時に見苦しい、マスコミも「野次は議会の花」なんて言わないで欲しい。
そもそも「人が話してる時は静かに聞く」って、小さい子供の頃言われなかったかい?
演説や質問&回答は、静かに聞けばいい、言いたいことがあるなら手続きを踏めばいい。
もちろん、政党や会派によっては、満足な時間が与えられないことは知っている。
だが、だから野次ってもいいという論理は、俺は好かない…
議会運営の最適化は今後、色々な方面から見直されるべきと思う。
その過程で、野次という下品な手法が過去の産物になればいいと切に願う。
…ながやん馬鹿だから、野次がただ嫌いだって思ってるだけなんですよ(笑)