グリーン・グリーン

ある日パパとふたりで語り合ったさ
この世に生きる喜びそして悲しみのことを


先月祖母を亡くして、ただ泣くしかなかった俺にパパンは言いました。
「俺はもう、大人になったお前にしてやれることはないし、時間もない」
だから、これから自分でどう生きるかは自分自身で決めるしかないと。
パパンはもう後期高齢者、長く見積もっても残り二十年と決めている。
その残された人生を、一人の鍼師として鍼治療の医学的地位向上に燃やす。
そう決めたんだそうだ…それに全力投球だから、ほかに構ってられないと。
未だ医学界では、一種のまじない的なものとして見下されてる鍼治療。
それがどれほど科学的で理にかなった医学かを、パパンは探し求める。
俺もまた、もう生き方を決めた一人として、泣いてもいられないと思った。
俺は軽作家として清く正しくイヤラシク小説を書いて、それで食っていく。


自分の生命ってさ、世界で唯一自分の自由にできるものだと俺は思うよ。
だから、自由に使ってもいい…使い方は自由だけど、捨てるのはどうかな?
使い捨てるならいいかもしれないけど、ただ捨てるってのはどうだろうか?
自分の生命は自分の為に、自分が思うように使いきってみるといい筈。
人が何の為に生きるかって、そりゃもう単純、「しあわせになるため」だろ?
何がしあわせかまでは俺は責任もてない、しあわせの定義も人それぞれだし。
戦火の中で幸福にひたる人もいれば、金にまみれて満たされない人もいる。
人の為になにかすることが自分のしあわせだという人もいるだろうさ。
でも、大事なのは自分のしあわせの為にベストを尽くすことジャマイカ
お前の生命、お前だけの生命…使えよ、しあわせになる為に!捨てんな!


人はしょせんは一人、自分以外は全部他人だ…血縁とか関係性に過ぎない。
でも、ベストを尽くしてる、生命を燃やしてる人は好かれると思うぞ。
逆に、ベストを尽くしてる人をこそ、人は好きになるんだと思う。
前提条件が違うだけで、自分以外は全部他人…でも、好きな人いるでしょ?
そういう人って多分、自分から見て「生命を使ってる人」じゃないかな?
生命というのはね、使う為にあるんだよ…捨てるのは簡単なんだよ。
維持にも気を使うし疲れるし、手放せば楽になれるのは否定しないけど。
しあわせになる為に使う、その為に与えられた唯一無二の財産なんだ。
…と、偉そうに人生観を語ったけど、後は俺が実践してみせるだけだね。
リア充のたわごとと聞き流すのもいいし、俺がリア充なのは否定しない。
俺に足りないのは現実世界の異性関係だけだしね…他は超充実のリア充
病気がなんだ、家族がなんだ…「それがどうした!」って言ってやれ。
俺もまたあなたに関わる他人でしかないから、こう言うしかできない。
実際に生命をどう使うかはあなた次第、でも…捨てるのは駄目だよ。