ながやんが紅の豚を語るようです

ジブリアニメの中でも屈指の名作、それが俺にとっての紅の豚の評価だ。
俺はこのアニメ映画を、凄く沢山のポイントで評価してて、美化している。
まず、「かっこいいとはこういうことさ」というキャッチがもうずるい。
主人公ポルコ・ロッソが本当に格好いい…こういう大人に俺はなりたい。
ブサイクな短足で、しかも豚というヴィジュアルなのに、とても格好いい。
あえて見た目をブサイクにしてるから、逆に言動をちゃんと受け止められる。
見た目のいい奴は適当言っても格好いい、でもポルコはそうじゃないんだ。
真摯な言葉が、小粋な生き方が胸を打つ…かっこういいとはああいうことさ。


次にメカニックと時代設定が非常に魅力的、飛行艇というモチーフがいい。
今はもう、飛行機の発達で進化が止まってしまった飛行艇…その最盛期。
昔は「速い飛行機=滑走距離長い」だからね、飛行艇が最先端だったのだ。
だって陸の滑走路に比べて、海の滑走距離は無限大だからね…いい時代だ。
第二次大戦の足音が聞こえる、束の間の平和を享受するアドリア海もいい。
そんな時代の中、空と海とに挟まれた男の浪漫が画面を所狭しと彩るのだ。
主役メカのサボイアは実は、現物はもっとブサイクな飛行艇なんだけども。
宮崎駿さんがデフォルメしたサボイア試作艇がまた、どえらいカッコイイ。
この時代以降、飛行機は陸上機と艦載機が主流になり、飛行艇は廃れる。
それでも、飛行艇こそ飛行機の最先端だった、その一瞬の輝きを描いてる。
とにかくもう、アナログなドッグファイトのシーンが圧巻の一言である。


後はやっぱり、主人公ポルコの周囲を固めるキャラクター達が魅力的だ。
影のある美女ジーナに、快活な美少女フィオ、そして敵役のカーチス。
他にも空賊連合の男達や、かつてのポルコの戦友、職人達にお年寄り。
皆が皆、暗くなってゆく時代の中で懸命に光ってた、そう思わせてくれる。
この作品のキャラクターは誰もが好感の持てる好人物で、それがイイ。
本当に、世の中の人はみんな善人なんじゃないかと思いたくなるくらい。
凄く人間がイキイキしてるんだよね、キャラが生きてるアニメだと思う。


最後に、この映画が意図せずとも反戦映画の傑作である点も評価したい。
もともと本作は、航空会社の機内放映用フィルム、短編の予定だった。
しかしながら宮崎駿監督の強い意向で、劇場用作品になったのである。
作中から発せられるメッセージは、ひたむきな空への憧憬と浪漫だけ。
説教臭いことは言わない、ポルコの戦争批判はチクリと軽妙なだけだ。
だが、戦争に真っ向からノーを突き付け、男は人を捨てて豚になった。
人は捨てたが翼は捨てない、そんな豚が真紅の愛機でアドリア海を飛ぶ。
作中、戦争と賞金稼ぎはどう違うのかと少年が問うシーンが登場する。
人が人と戦う、その根本は両者同じだが、戦争とは正当化された愚行だ。
戦争とは経済活動であり政治的事業であり、国家の名の下正当化される。
賞金稼ぎは違う、自分の命を差し出し、相手と命のやりとりをするのだ。
誰も正当化してはくれないし、誰も褒めてはくれない…あるのは誇りだけ。
ポルコは豚になることでしか、自分の空を飛べなかった男でもあるのだ。
ポルコは戦争を哂っている、戦争する位なら豚でもいいと嘲っているのだ。
そういう健全な戦争批判が、鼻につくようなフィルムでないのもイイ。


単一目的を持って生まれた機械は美しい…だから戦闘機は美しいものだ。
兵器というおぞましい生まれでも、ただ速く強く飛ぶ翼は芸術品と言えよう。
現代における空戦の基本は、ファーストルック・ファーストキルである。
先に見つけた方がミサイルを発射する、それで終わりというボタン戦争だ。
そんなものはもう人間の闘争ではない、現に無人機の構想すらあるのだから。
人と人が命をかける、そんな時代を終えようとしてるのに、戦争はなくならない。
そんな今だからこそ、顔を歪めてGに抗い、身を捩って飛ぶ男達をみるべきだ。
何故戦闘機同士の空中戦を「ドッグファイト」と言うかご存知だろうか?
犬同士の喧嘩が相手の尾を追いかけるように、ひたすらバックを奪い合う…
そうして必殺の機銃を叩きこむというのが、昔の空中戦のスタイルだったのだ。
そこにはまだ、人間の意思と技量が介在し、多くのエースパイロットを産んだ。
それはもう過去の話だけど、人間が人間らしく闘えた最後の時代だとも俺は思う。
戦争は愚かしいが、人が大事なモノの為に戦う、自分だけの戦いは美しい。
そういう男の美学が、紅の豚には焼き付けられていると俺は確信している。
名画だ…今夜は録画して、思う存分に堪能したいと楽しみにしている。