考えることをやめてはいけない

俺は常に、ルールの遵守をよしとする人間として生きてきた。
悪法でも法は法だと思うし、ルールを守ることは大前提だ。
ルールに疑問を持ったとしても、まずは守らなければいけない。
その上で民主的な手続きに則り、ルールを変えてゆくべきた。
ルールを正しい手順で変えるまで、ルールはやはり守るべき。
でも、若い頃の俺は子供でガキで、ルールはただ守ればいいと思ってた。
今はちょっと違う、なぜこのルールが存在するかを考えて守ってるかな。
例えば道交法、どうして50キロ制限なのか?どうして駐車禁止なのか?
無条件に守るんじゃない、その意味を考えた上で納得して守る。
納得しなかったとしても守るし、納得できな過ぎたら変えようとするかも。
今日の話題は、そんなルールが重要なスポーツのお話です。


日本シリーズ第五戦、日ハムの投手が巨人の打者へとボールを投げた。
送りバントしようとしていた打者は、バント仕損て打球はファール。
ところが、打者が「痛いよ、打球当たったよ」とアピールを始めた。
たちまち原監督が出てきて審判に抗議、危険球の疑いが出た。
審判は既にファールのジャッジを下していたが、それを取り下げた。
そして危険球が打者を襲ったとして、日ハムの投手は退場になった。
俺が知る限りの情報を客観的に伝えると、こういう顛末が先日あった。
このことから多くの議論が我が家で(パパンとママンと俺)持ち上がった。


まず、ジャッジは一度ファールを宣告しておきながら、覆された。
抗議した日ハムに審判は「ファールだなんて言ってない」と述べたとか。
試合を見てた人には一目瞭然、実際にファールが下されたらしいのだ。
ファールとジャッジしておいて、打者が危険球アピールをすると覆す。
これはどうだろう、個人的な話だがちょっといただけないと思わないか。
本当に危険球で、本当に打者に当たったなら、それを審判は見抜くべき。
勿論、人のやることだから完璧はないし、ビデオ等を駆使すればいい。
それで試合の進行がテンポ悪くなるようなら、審判に一任するのがいい。
でも、審判はその責任を背負って自分の発言の重さを知らなければ。
お前は自己の責任においてファールを宣告した、その重みを知るべき。
そう俺は思うし、この不可解な顛末を非常に残念なものと思っている。


次に、この件に関して解説者の桑田さんが面白いことを言っていた。
彼は「打者はいい演技しましたね、危険球とれましたね」と述べた。
さらには「みんな子供の頃から演技するよう指導されます」とも。
この発言は、他の解説者が口をつぐむ中で異彩を放ち、重かった。
長らくプロ野球を見てきたパパンは、失望もあらわに落ち込んでいた。
この国では「当たってなくても危険球アピールして塁に出ろ」と…
そう子供達に教えてるのか、もしそうならなんて卑しいんだろう、と。
勿論、本当に当たって危険球だった場合は、その事実を明らかにすべき。
ジャッジもそれを受けて、適切な処置で試合を動かさなければいけない。
でも、それは本当に危険球で、本当に当たった場合に限ると思うのだ。
パパンは子供にそんな指導をする日本を憂いて酒を飲んでいたのだった。


ママンは珍しく冷静で、パパンが持っていない情報を持っていた。
例のファールとジャッジされた球は、実際打者に当たった可能性もあると。
送りバントでバットに当たった球が、打者に当たったかもしれないのだ。
勿論、ダイレクトに打者に当たったかもしれないし、微妙な球だった。
そしてビデオ判定の録画はされておらず、審判は一度ファールを宣告。
難しい、巨人も日ハムも日本一を賭けて戦ってた、だからやはり難しい。
ただ、一度ファールとジャッジした、その重みを誰もが受け止めるべき。
いちいちジャッジが覆るようでは、競技の運行に支障がでると思うのだ。
だからこそ審判には、公平性と厳正さ、なにより正確さが求められる。
難しい仕事だ、審判の皆様は本当に頑張ってるしお疲れ様だと思う。
でも、プロの審判なら仕事の結果で評価されることを知ってほしい。


スポーツマンシップとはなんだろうか、ルールとはなんだろう。
勿論競技であり勝負である以上、勝ちを目指す前提に間違いはない。
その過程で常にルールを遵守することは当たり前とさえ思える。
だが、人間が競うスポーツを人間が裁く以上、落とし穴は存在する。
そんな時に求められるものこそ、スポーツマンシップではないだろうか。
スポーツのルールはきっと、参加者の純粋な雌雄を決するためにある。
だからこそ、それをお互い守ることでゲームを共有し、一緒に作る。
力と力をぶつけあう両者が一緒にゲームを作る中で勝負は決まるのだ。
だから、この俺の胸中に渦巻くわだかまりに、正解はないかもしれない。
ただ、スポーツに参加する人間には誠実な良心が求められると思う。
巨人軍は紳士たれ、という言葉もある…や、巨人批判が目的じゃないです。
ルールに基づく力比べでなければいけないし、ルールに正直でいて欲しい。
そうでなければ、どんなスポーツでも魅力を失ってしまうから。
今回のケースの場合、打者が真実に正直であればなにも起きなかった。
本当に痛かった、球が当たったんだと思えたなら良かったんだけどね。