今日も今日とて飯がうまい!


今日は友人の厚意で、和歌山の特産品が我が家に届きました。
梅酒に舌鼓をうちつつ、うつぼや南高梅といった高級おつまみを堪能。
あまりに立派な梅干しに、家族三人でひれ伏しありがたやーと(笑)
俺は友達を大事にしたいし、遠近の別なく友達に誠実でありたいとおもた!


マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや


寺山修司先生の短歌で、自分がとても気に入ってる作品です。
波止場で煙草に火を付け、霧の海を眺めて物思いにふける…
自分が身を捨ててまで守る祖国が、その価値があるのかと。
とても青臭くて、その実切実で純真な気持ちが伝わってきます。
寺山修司先生の若かりし頃、マントを羽織った姿が目に浮かびますね。
まあ、寺山修司先生は実は、実際に海を眺めて煙草吸わなかったかも…
というのもですね、寺山修司先生、結構ウソをつくからです(笑)
あくまでも短歌や俳句は創作だというのが、先生のスタイルです。
昔、母の死に、という調子で俳句を作ったら、仲間の香典が殺到した。
「いや、そういう雰囲気の俳句を作っただけで、母は元気です」と言ったら…
怒られたらしい、でも創作活動は体験がなくても想像力と表現力が大事さ。
そういう訳で、この海も陸奥湾なのか八戸沖の太平洋なのか。
ただ、戦後まもない高度成長期への黎明期、背伸びした純情は好きです。


さて、ここからが本題…この短歌に広告的な意図を感じますか?
マッチ擦る、というのは勿論、この人物は煙草を吸っています。
もしかしたら、未成年かもしれないし、煙草を海にポイ捨てするかも。
そこまでは描写がないし、短歌という表現の世界には不要でしょう。
むしろ、霧の海に煙をくゆらし、日本を憂いているその情景が大事では?
同じことがきっと、映画「風立ちぬ」での数々の喫煙シーンに言えるのです。
全てが創作物の中の、作中世界の演出であり、ドラマのためのガジェットです。
そこには、昭和の男達が煙草を片手に仕事に没頭した生活が、史実があります。
当時の男子の喫煙率は八割だったとも言われていますし、煙草は仕事の友でした。
そうした時代背景を無視しては、いい映画にはならないと思うのです。
また、結核の妻との寝室で、煙草を吸いながら仕事をするシーンもある。
勿論、現代の日本ならばこの行為は、極めて不謹慎な上に違法性も疑える。
だが、待って欲しい…死の病を患いながら、彼女は治療を捨ててここにいる。
万に一つの助かる可能性すら捨てて、主人公との「今」を選んでいるのだ。
だからこそ、主人公の一部である仕事も煙草も否定しないのである。
それも全て込みで、全て主人公の一部として肯定して好いているのだ!
こういうことを説明するまでもなく、本作に喫煙を助長する意図はない。
この映画を見て「煙草吸いたい!」と思ったところで、それは個人の自由だ。
「煙草はいいぞ!」とは描いていない、煙草は主人公に寄り添うだけだ。
なぜこんなこともわからない人間がいるのか、正直閉口してしまったよ。