ながやんが怪獣とロボを語るようです

なんかさー、俺って興奮すると妙に多弁になってしまって…反省なのだわ。
つい熱く自分語りをしてしまう、だがとても楽しかったのでヨシ!?
そんな訳で、今日は友人達と「パシフィック・リム」を見てきました。
ネタバレを含む内容なので、気をつけて読んでくださいね。


まあ、ぶっちゃけて言うとメチャクチャ面白かった!
「馬鹿だなあ、褒め言葉だけど」とか照れ隠しが不要なくらいに。
もうね、これは素直に絶賛するしかない、他に言葉が見当たらない。
素晴らしい映画だった、娯楽超大作だと思う、興奮と感動である。
ハリウッド映画のテンプレなストーリーは、実は無視していい。
大事なのは「対話不能な怪獣が襲ってくるので、ロボで戦う」だ!
いいんだよ、細かいことは気にするな…気にしてはいけない。
CGとは思えないほどの、ダイナミズムとリアリティ溢れる映像!
一昔前のペーパークラフトみたいなCGロボじゃないぜ、本物だぜ。
これだよ、こういう作品が見たかった…俺も負けていられない!


俺は思ったんだけど、パシリムがエヴァに似てるんじゃないのかもね。
エヴァ自体が、日本の伝統的なロボットアニメの作法に忠実なんだ。
同じ「古き良き怪獣映画、ロボットアニメ」を根っこに持ってるから似てる。
人類の危機があって、未知の強敵が襲い来る、秘密組織の秘密兵器で戦う。
こうした様式美は、日本で半世紀培われた、もはや伝統芸能である。
これを誇りたいし、これからもたゆまぬ努力で続けて進化させたい。
今年は春アニメに三本もロボット物が発表されたりと、大豊作だった。
だが、ロボット物先進国日本よ…そんな油断していていいのだろうか?
世界は日本に学んで、日本が好き故にここまでのものを作り上げたんだよ!
日本では絶滅危惧種の怪獣とロボットで、これだけの娯楽が演出できる。
負けてられない、宇宙の海は俺の海とかプレステ2レベルやってる場合じゃにい!
今こそ日本が世界各国へ向けて、保守本流の王道を見せつけるべきだ。
…まあ、難しいのはわかってるんだけどね、難しいからやれなんて言わん。
俺がやりましょう!(ドンッ!)俺がやってやりましょう!(ドドンッ!)


見ていて気持ちよかったのはね、パシフィック・リムは無邪気なのだ。
「お前らこういうのが好きなんだろ?ええ?」って作品は腐るほどある。
そういうのは、目の肥えたファンには決して受け入れられないものだ。
のみならず、どこか冷めた気持ちはフィルムやコマ、文脈に滲み出る。
ルーチンワークで作った作品は、普通のお客さんをもしらけさせるのだ。
だが、パシフィック・リムは違う…この作品の根底にあるのはこれだ!
「俺はこういうのが好きだああああああああっ!…お前らはどう?」だ。
狂おしいばかりの情熱、迸る熱意、溢れ出るリスペクト…素晴らしい。
ギレルモ・デル・トロ監督には惜しみない賞賛と敬意、そして親近感を注ぐ。
本物の「好き」という心は、それだけで巨大なエネルギーを産むのだ。
この、対象に対する「好き」を失った時、人は老いて歩みを止めてしまう。
誰にでも訪れるその時までに、気持ちを形にして残したいと思った。
沢山じゃなくてもいい(でも沢山だと尚いい)、一つでいいんだ。
売れなくてもいい(そんな訳ないです、売れる努力してます)のだ。
俺が老いて人生の黄昏を迎えた時、自分を振り返る一冊が欲しい。
それは多分、ギレルモ・デル・トロ監督と同じ方向性の物だと思う。


注目したいのは、ギレルモ・デル・トロ監督が細部まで拘った点。
本当にロボット物や怪獣特撮が好きじゃないと気付かない丁寧さ。
例えば、怪獣が恐ろしい強酸を吐く、ロボが避けて後ろのビルが溶ける。
この後、振り向きビビるロボを、溶けるビル側視点からワンカット映す。
これは怪獣映画やロボットアニメで何度も用いられてきた手法だ。
怪獣とガチンコバトルしてて、そんな暇がないのは百も承知だ。
だが、このリアクションカットを入れることで、見る側がシンクロする。
見てる人と同じ気持でロボがリアクションすることで、共有が生まれるのだ。


さて、ここまで賞賛してなんだが、やはりこれはアメリカの映画だ。
あくまで欧米的な観点で作られている…いうなれば「ハリウッド属性」だ。
質は高い、だがハリウッド的な演出と方向性を運命づけられているのだ。
悪いことではない、以前アイアンマン3を見た時も強く感じたがいいことだ。
その国や地域の特性がフィルムに出ることは、そこに人が生きるゆえだ。
だが、思い出して欲しい…俺達が日本で育った日本人だということを!
パシフィック・リムでは、ロボは全て「怪獣と戦う兵器」として描かれる。
あくまで道具であり、それ以上でもそれ以下でもない、これがミソだ。
欧米ではそれを使う人間こそが主体であり、最も重要な要素になるのだ。
だから、クライマックスで主人公はロボを自爆させることに躊躇いはない。
アイアンマン3でも、スタークはスーツに自爆を自ら望んで命じるのだ。
勿論、主人公は人類の未来の為にロボを自爆させ、その過程で困難に打ち勝つ。
スタークだって、破片になって転がるアイアンマンの炎の涙に表情を変えたさ。
だが、欧米型ロボではロディマスにはなれても、アトムにはなれない。
マジンガーZにもガンダムにも、エヴァにもドラえもんにもなれないのだ。
ならなくていい、それがお国柄…そしてそれは、我々日本人の役目だ。
日本人には、無機質の物体物質、道具に魂が宿るという文化がある。
だから「いいも悪いもリモコン次第」の鉄人28号でさえキャラクターなのだ。
故に、日本人が作ればこうだ…ロボと共に自爆しようと主人公が決意する。
だが、ロボが自ら主人公を脱出させるのだ…サンドロック、僕に以下略ってね。
俺はこうした「常に道具だったロボが見せる心、魂」こそが日本ロボだと思う。
そうしたものを常によりよく世に出せたら、それこそクールジャパンだよね。
勿論、こうした欧米型を取り込んだボトムズのような傑作も存在する。
良し悪しではない、文化的な背景や好み…そう、俺の好みの話なんだ。