どうでもいい話

ながやんはヴァン・ゴッホが好きである。
彼は純真で、素人の技術と天性の感受性を持っていた。
彼は友人達を好いて愛したが、友人達から疎まれ軽蔑されていた。
献身的な弟がいた、彼の死後に作品価値が高騰して発狂しちゃった。
弟テオは、かみさんにいびられながらも兄ゴッホを支え続けた。
そんなテオの血を吐くような犠牲の上で、おおらかにゴッホは生きた。
俺がゴッホに惹かれるのは、その純粋過ぎる創作意欲だろう。
俺はゴッホが好きなので、ゴーギャンが昔から嫌いだった。


ある時、ゴッホは片田舎に一軒家を借りて新生活を始める。
大きなアトリエを構え、友人達を招いて一緒に住もうと考えたのだ。
共に絵を志す者同士、寝食を共にして語らい、絵に向き合って暮らす。
そういうのっていいよねえ、とゴッホは友人達に手紙を書いた。
親愛なる友へ、一緒に絵を描いてくらしませんか、と。
そうして友人達一人一人の椅子を買い、それを絵にした。
その頃、手紙を貰った友人一同は、酒場に集まり眉をひそめていた。
正当な美術の学問を修めた芸術家一同にとって、ゴッホは異端の邪道だ。
ゴッホ教育機関で絵の基礎知識や技術を学んでいないからだ。
いきたくねえな…誰もが呟いたが、一人くらい顔を出した方がよさそうだ。
そうして白羽の矢が立ったのは、住処を失っていたゴーギャンだ。
ゴーギャンも、しめたぞ家と飯のあてができたと転がり込む。
ゴーギャンしか来てくれなかったことを、ゴッホは恨まなかった。
それどころか、やっぱりゴーギャンはきてくれた!と歓喜したそうな。
二人は絵を描きながら暮らしたが、その生活は上手くゆかず破綻する。
そうしてゴーギャンゴッホの元を去ってしまうのだ…
ああ、失せろ失せろヒトデナシ!って俺は思ってたんだけどね。
ゴーギャンってじゃあ、どんな人だったと思う?どう思うよ?


ゴーギャンは実は、画家としてデビューしたのはとても遅い。
長らくサラリーマンをしていて、画家として生きる決心は遅かったのだ。
そんな彼が、人生半ばにして絵への希望と欲望を爆発させた原動力…
それは、死…ゴーギャンは自分の避けられぬ死を知り、決意したのだ。
もう病で死ぬらしい、ならば絵を描かねば…画家として生き終えねば!
こうしてゴーギャンの芸術が花咲いた、それは枯れても実らず種を残さない。
ただ朽ちて散る為に咲いたのだ…焦りもあったんだと思う。
一説には梅毒とも言われているが、昨今はらい病説が有力だ。
俺には時間がない…残された人生で少しでもいい絵をと意気込む。
そんな一分一秒も惜しい人間が、素人ゴッホに付き合わねばならなかった。
ねーねー見てよゴーギャン、と屈託ない無邪気なゴッホが目に浮かぶ。
…うざかったんじゃないかな、こっちは遊びじゃねーんだよ!ってね。
仲良く絵を描こうってゴッホと、命を燃やして描くゴーギャン…水と油だ。
でも、ゴーギャンは残された命を燃やし尽くして、己の人生を全うした。
バリ島へと渡った彼の晩年は、数多くの傑作を生み出したのだ。
そういう話を少し知ったら、なんだか嫌いになれなくなっちゃった。
ゴッホは自ら死を選んで世を去り、ゴーギャンは限られた生を生き切った。
でも、俺はやっぱりゴッホの方が好きだな…なんかとんがってるもん。
コーエーがゲームにしたら、ゴッホは感性100技術12とかの武将だぜ?
夜の闇を青く藍色に塗り、誰も使わない黄色をぶちまけて絵を描いた…
技術も知識もないからこそ、常識を破ることに躊躇がなかったんだね。
まさに規格外…だから、彼が生きてた時、その絵は価値がつかなかった。
時代が追いついた時にはもう、ゴッホは自ら命を絶っていたからね。
もし天国があるなら、二人はまた一緒に暮らして絵を描くといいな。
で、俺的にはゴッホ×ゴーギャンがいいんだが、どうだろうか(笑)