月を見るたび思いだせ

映画「かぐや姫の物語」のネタバレ日記になります。
なので、まだ未見の方は注意してくださいね♪


圧倒的な映像美で、あっというまに過ぎた二時間弱でした…すごい濃密。
ただし物語は、古典の竹取物語にかなり忠実な作りになっています。
月の羽衣の話等、昔話ではオミットされてる要素もちゃんと描写アリ。
ただ、最後に残される不死の薬だけは、テーマの関係上オミットされました。
命は素晴らしい!生きるってステキ!って説いたかぐや姫が、さ…
それを全否定する不死の薬を残したら、やっぱちょっとまずいもんね。
「人の幸福」「生きる喜び」「記憶の尊さ」が織り成すドラマ、圧巻です。
ただ、そうしたテーマの重さを感じさせぬのは、ヒロインが魅力的だから。
一人の少女として、かぐや姫がとても愛らしくかわいらしいですね。
また、独自解釈による脇役も新鮮で、話がぐっと引き締まって見えました。
これ、絶対に海外のアニメファンに沢山見て欲しいな、素晴らしい映画です!


ここからは個人的な雑感というか、偏屈なながやんのひとりごとデス。
ながやん、今回はジブリの挑戦と挑発を感じて映画館に向かいました。
ジブリのヒロイン史上、最高の"絶世の美女"が誕生…この宣伝文句!
聞き捨てならない…四半世紀以上ジブリファンをしてる俺への挑戦だ。
ナウシカクシャナ殿下、シータ、キキ、月島雫、もののけ姫、ソフィ…
今まで俺の人生を彩ってきたジブリヒロイン、その思い出を挑発してくる。
これは見届けねばならないと思った、そこまで言うなら見せてもらおうか!と。
結論から言うと、当たり前だが「思い出に勝るものはない」という話だ。
思い出は常に美しく、それを胸に秘めた者の手で磨かれて永遠となるのだ。
必定、そうして無数のファンの胸に生きるヒロイン達に勝る存在は…ない。
そればかりか、多くのジブリヒロインと張り合う宿命を背負ったため…
かぐや姫本来の魅力が損なわれてしまったようにも感じた(あくまで私感です)
ナウシカのように虫や動物を愛で、シータのように殿方と空を飛ばされる。
無邪気で無垢、快活で闊達な一面と、気高く気品あふれた二面性のアンバランス…
そのどちらも、今までのジブリヒロインをなぞっているようにも見えたのだ。
台詞の言い回しにすら、そうした「ジブリヒロインらしさ」が意識されてた。
俺はジブリヒロインのオールインワンではなく、ジブリかぐや姫が見たかったな。
俺の結論ではまだ、彼女がジブリ史上最高かどうかは、正直まだわからない。
ただ、かぐや姫を構成する魅力の大半は、彼女自身のオリジナルに感じなかった。


今回の映画で俺が一番評価するのは、脇役達の存在感である。
あくまで脇を固めるジョブに徹しつつ、要所要所での箸休めに貢献している。
こうした上手さ、もはや匠の技…はっきり言って脱帽モノに素晴らしい!
特に、京の都に舞台を移してから登場する、女童というキャラが秀逸だ。
こいつさ、何かににてると思ったら…カラスヤサトシ先生の自画像に似てる!
最初画面に突然、ゆるキャラみたいなのが映って「おお!?」となった。
けど、こいつが重い話の節々でほどよくドラマを揉みほぐしているのだ。
和み成分というか、ほっこりさせられる良キャラ…この映画で一番いいキャラ。
かぐや姫の世話役の一人なんだけど、同時に友達で、でもわかってやれない娘。
でも、そのコミカルな立ち回りは道化的でもあり、いい笑いを沢山誘う。
上手いね…こういうことがさりげなく散りばめられる、流石高畑監督である。


本作は平安時代、多分700年代後半〜800年代後半のどこかの時代が舞台だろう。
この時代、日本は中世の封建社会だったと俺は認識している、階級社会だね。
だから、天から姫君をさずかった翁がああした行動にでるのは、当然なのだ。
歴史的な背景や描写、その時代の人物の行動には、必ず必然が存在する。
それを今の価値観で推し量ってはいけない、時代が違うのだから。
姫のためにと権力と地位を求め、見知らぬ男に嫁がせようとする翁。
普通です、当たり前なんです、当時はこれが幸せになる道だったんです。
当時の女性は顔も知らぬ男に、その弾性の階級や役職に嫁いだんです。
そうした世界観に、今風のかぐや姫を放り込んだのが面白いんですよね。