再発見

太宰治が好きだ。
津軽」や「斜陽」が好きだ。
勝手に親近感を持っていたのである。
陰鬱な影を引きずる作家とも思ってた。
この人は終始、鬱々としてたに違いない。
そう思ってたし、俺がそうだったから好きだった。
びっくりするくらい、自分に重なるとこがある。
何度も自殺未遂を繰り返すダウナー系厨二病患者。
その暗い情念が垣間見えつつ、颯爽とした作風。
でも、今回の金木町小旅行で印象が変わった。


太宰治の生地、金木町といえば斜陽館である。
だが、そこから徒歩五分に「もう一つの斜陽館」があるのをご存知だろうか?
それは、太宰治疎開中に暮らした、元は斜陽館に隣接してた離れ座敷だ。
斜陽館が津島の家を離れた時、諸事情で90m離れた場所へと移された。
斜陽館に後から付け足されたので「新座敷」の名称で知られている。
今回はここにも立ち寄り、展示員さんの親切で新たな太宰治に出会った。
写真は、本当に太宰治が使ってた机と火鉢、そして俺である。
本物の太宰治も、こうして行儀悪く座って原稿を書いたらしい。
そのことを直に見て語った人が、今もご存命というから驚きだ。


太宰治の生家、津島家は簡単にいえば「金貸し」で「地主」である。
周囲に金を貸して土地を担保に取り、借金を盾に土地を取り上げまくった。
結果、日本でも有数の大地主になり、金木町一帯の支配者となった。
そのことに若い十代の太宰治は、酷く反感と嫌悪を持ったという。
「大人って汚い、その中でも我が家は最悪だ」…いいね、香ばしいね!
そんな彼は執筆の傍ら、怠惰な私生活でついに勘当されてしまう。
だが、母の死や疎開を通じて家族と和解、金木町へ帰ってきた。
その時、温かく迎えてくれた家族に触れて気付いたのである。
「嗚呼、我が家に汚い人間などいなかったのだ」…いい話ダナー(*´∀`*)


新座敷に住んでいた頃の太宰治について、展示員さんはこう語った。
執筆に専念する傍ら、地元の学生達に好かれ慕われていたと。
多くの人間が太宰治に憧れ、話を聞きたいと訪れたという。
太宰治はいつも「あがりたまえ」と、新座敷に通した。
酒を飲みながら語れば、時には歌を歌うこともあったという。
そして、太宰治といえば女との心中だが…奥様とはおしどり夫婦だった。
金木町での二人はとても仲の良い夫婦で、終始笑顔が絶えなかったらしい。
…俺の持っている太宰治像とは、明らかに剥離した、まるで別人のよう。
だが、違和感を感じつつも、酷く実感の得られる話だなと思った。
俺もまた、錆びたナイフのような時期があったが、今は丸鋸のようだから(笑)
人間とは多角的な内面を持つ生き物で、月日の全てが同じではない。
陰気な性格で自殺した作家というのは、太宰治の一面でしかないのだ。
俺が定義して自覚する俺の性格もまた、そうだったらいいんだけどな。


因みに、展示員さんのご好意で太宰治の机に座らせてもらったが…
ここに座ると「文章が上手くなる、発想が生まれる」らしい。
残念だが俺はその手の迷信やまじないは信じないのだけども。
でも、半世紀以上も前だが、太宰治はここに座っていたのだ。
そして同じ景色を見ながら、創作に魂を燃やしていたのである。
月日が過ぎて尚、そうしたものに触れられることがとても嬉しい。
あと、展示員さんがとても親切なので、是非立ち寄ることをオススメします!
斜陽館も見応えあるけど、新座敷と合わせて見るととてもおもしろい。
斜陽館には「ここに新座敷が繋がってたんだねー」って場所もあるしね。