かくて語り手は紡ぐ、巨兵の神話を

かつて、日本は世界でも稀に見る「ロボット物大国」だった。
アニメや漫画、ゲーム、小説…多くの娯楽作品の、一つのジャンルだった。
だが、21世紀を迎えた昨今、その勢いは静かに衰退しつつある。
時流である、ロボットのいる世界が現実に近付いた結果だ。
人類に寄り添うロボットは、ネコ型でもないし、腹ん中に真空管がある訳でもない。
夢のエネルギーで動く巨神でもなければ、群れなし隊伍を組む巨人兵器でもない。
今、「人のできない仕事をする」という、至極単純でまっとうなロボットが現実だ。
そしてそれは、ヒロイックでもなければ華美でもなく、すでに世界中で稼働している。
創作物の中の「人と同じことをするロボット」が、過去のものになりつつあるのだ。


あ、さて…それでもながやんはロボット物というジャンルに希望を持っている。
自身もまたいつか、次の世代へとこのジャンルの希望を灯さなければいけない。
使命感ではないが、強いて言えばやってみたい挑戦と冒険、といったところか。
そして、今もその試みを続ける先駆者たちが、先達たちがいることが喜ばしい。
俺がその旅へと船出するには、まだいくつもの手順と準備が必要になる。
だが、全てはそこに繋がっていると思うと、日々の仕事のなんと楽しいことか。
ままならない身体だけが心配だが、なに、もうちょっとは大丈夫なんジャマイカ


というわけで、アルドノア・ゼロの最終回を見たが、素晴らしい作品だった。
ストーリーやメカデザイン、音楽や映像もさることながら、俺が一番感動したのは…
現代における王道の再構築という過程で、「お約束」に真剣に向き合った点だ。
「これはこういうものだから」と、ガジェットの並べ方を安易に使っていない。
がっぷり四つに取っ組み合って、使うものは使い、捨てるものは捨てている。
その試みは、成功もあったけど、そうとは言えない結果も俺に印象づけた、が…
そのこと事態が素晴らしいと思う、この一年間を一緒に楽しめてよかった。
もっと楽に「リアルロボットVSスーパーロボット」というテーマを突き詰めてよかった。
萌えと燃えでトッピングしてもよかったし、安易でも感動させられる手法は沢山あった。
そういうことを選ばなかった、自分で探して求め、作り上げたことが素晴らしいな。
自分もまた一端の創作者くずれとして、そうありたいと思い願い、祈るばかりである。


くっそー、スレインの野郎生き残りやがった…だが、それでいいんだと思う。
一期のラストと逆の状況で、撃たないのが伊奈帆なのだ。
それを優しいと取るか、残酷と取るか、はたまた兵士の義務なのか。
どっちにしろ、誰が本当にお姫様の騎士だったかは、明白ではある。
こういう「何も得ないが全ては守る」という姿は、俺には格好良く見えるけどな。
こういう主人公像が今の若者にも受け入れられたら、それはとても嬉しい。
あー、K9スレイプニールのフル装備格好良かったな、オレンジ最高ぉ!
スパロボに出演の際は是非、コードギアスのオレンジと絡んで欲しいね♪