マイ・ベストゲームTOP10

「#自分の人生においてトップ10に入るゲームをあげてけ」
ツイッターで先日、色々と書いてみたのだけども。
改めて人のを見聞きし「あれもある!」と考えなおした次第。
なので、「◯◯シリーズ」とせず、個別の作品に絞って再考してみた。
文字数に余裕のある日記では、それらを振り返りつつ羅列したいと思う。


魔界塔士Sa・Gaゲームボーイ、1989年)
生まれて初めて「自分でゲーム機を持って、自分のソフトで遊びたい」と思った作品。
同時に、生まれて初めてのRPGであったし、生まれて初めての主人公創作型ゲームだった。
このゲームには、コンシューマ黄金時代を支えた全ての要素が詰まっている。
尖ったゲームバランスに、多感な少年期を揺さぶるストーリーやイベント。
知恵を撚ることで飛躍的にクリア時間は短縮され、運の要素に一喜一憂する。
バグも多く、隠された裏ワザは麻薬の味…何度も何度も遊んだものだ。
極めて前衛的なその作風は「サガシリーズ」として定着し、広がってゆく。
中でも、Sa・Ga2秘宝伝説ロマサガ三部作、サガフロ二部作は名作だ。
常に王道からそれつつ、獣道をかき分ける楽しみと優越感を与えてくれた。
それが、サガシリーズ、そして魔界塔士Sa・Gaだったように思える。


ファイナルファンタジー3ファミリーコンピューター、1990年)
王道といえるRPGはやはり、自分にとってはこの作品が最初だったように思う。
イベントをこなし、レベルを上げ、アイテムを収集する…それは手段であり目的だった。
そうした楽しみをこなしてゆく中で、壮大な物語を体験し、自分の中で再構成する。
自分が作った四人の少年少女が、いかにして世界を救う救世主になったか…
FF3には必ず、どんな時も想像の余地があって、いわゆる「余韻のある行間」があった。
単純なイベントとイベントの間であっただろうし、容量上の空白、未設定項目だっただろう。
そうしたものを自分で補完して遊ぶことが、俺にとってはたまらなく楽しかった。
誰にも見せない自分だけの物語を、心の中にだけ描きながら遊んだものだ。
同時に、このゲームで初めて味わった、その後も付き合わされる一大イベントがある。
セーブデータの消失である。
自分がつぎ込んだ時間と労力が、一瞬で無になってしまう…それがコンピューターゲーム
今はどんなゲームでも、データ破損等はめったに見ることができなくなった。
本当にいい時代になったと思う、素晴らしいことだ。


ストリートファイター2フーパファミリーコンピューター、1992年)
ながやんが生まれて初めて「人と競うこと」に真剣になったのが、このゲームである。
同時に、アーケードゲームコンシューマゲームが、不思議な関係性を持つにいたった。
インカム率が異様にいい「対戦ゲーム」というジャンルを確立させた本作。
同時に「家庭用で練習して、ゲームセンターで腕を競う」というスタイルが定着した。
勿論、家庭用に移植されたものは完璧ではなかったし、出るまでも遅かった。
だが、100円玉を持ち寄るコストから開放された時…学生だった自分たちに火が付いたのだ。
そして、「真剣勝負だけどガチンコ(バーリ・トゥード)ではない」という、歪な遊びが流行る。
良し悪しではなく、当時はそういう風潮で、友人同士であったから当然の配慮がなされた。
格闘ゲーム自体がまだ、手探りのバランス調整だったこともあり、ローカルルールが生まれた。
脱出不能状態を作る「ハメ」や、バグ等を利用した即死コンボ、無限コンボが戒められた。
同時に、「非常に巧妙な戦術」や「うまく誘導された二択攻撃」も非難の対象となった。
そうしたものに真剣に向き合ったことは、青臭かったけど俺にはいい思い出だ。
詳しくは押切蓮介先生のハイスコアガールを読んでもらえれば、凄くよくわかると思う。
こうして、俺のような熱狂的ユーザーに支持され、格闘ゲームは恐竜的進化をとげる…
その中で俺は、あたかも摂理であったかのように淘汰され、対戦ゲームが嫌いになった。
勿論、主体性をもって自主的に対戦ゲームから遠ざかった、今も遠ざかりたい。
今でも、どんな形でも対戦ゲームは嫌いだ…価値観の押し付け合いが苦手なのだ。
「純粋に勝ちを目指す」という、ルール上の統一価値観は、一方で趣味や趣向を排斥する。
それらは逃げ道だと言うものもいるし、でも俺には良し悪しだとは思えないのだ。
ゲームですらもう、俺は勝った負けたで一喜一憂などしたくはないのだ…人間相手に。


★スーパーファイヤープロレスリング2(スーパーファミコン、1992年)
プロレスもゲームを通じて好きになり、学生時代は熱狂的なファンだった。
このゲームでプロレスを知ったのだが、初めてプレイした時はひどかった。
ただ相手の体力を減らし、勝てばいいと俺は思ってたし、友達もそう思っていた。
挙句の果てに「どれだけ連続技をキメられるか」「どれだけベストタイミングでボタン押せるか」と。
そういうのを競うだけの、ただの対戦格闘ゲームでしかなかったのだ…当初は。
このゲームを通じて仲間内でプロレス観戦が流行りだし、一つの傾向が生まれた。
徐々に仲間内で「戦いには貴賎がある」という風潮が広まっていったのだ。
勿論、リングスやUWインター、パンクラスが好きな友人は相変わらずガチだったが。
プロレスを見て楽しむ内に、次第にゲームが「プロレスを再現する遊び」になったのだ。
例えば、三沢選手を使う…エルボー連打でとにかく押し、弱ったら必殺技乱打…では、駄目。
倒したら倒される、相手の技を受ける、ロープに振られたら走って戻る…これが面白い。
三沢選手らしく振る舞う、ここぞという時にエルボーを連発する、でも必殺技は温存。
互いに弱り弱らせの、本当にピークが来た時に、必殺のタイガードライバァァァァァッ!
…というのを戯れて遊ぶ、嗜む…夜更かししてプロレス中継を見て、レスラーを研究する。
昨晩見たレスラーの動きをゲームで再現してみたくなる、友人が付き合ってくれる。
思うにプロレスというのは、やはり一種の伝統芸能的な側面があるんだなあと思ったね。
このシリーズの虜となった俺は、学生時代は中学から専門学校まで、ずっと遊んでた。
社会人になってからも徹夜で遊んで、次の日に会社にいくなど、バカをやったものだ。


第3次スーパーロボット大戦スーパーファミコン、1993年)
当時からガノタガンダムオタク)だった俺にとって、ガンダムゲームは鬼門だった。
当時、ガンダムゲームといえば、まともに遊べる作品は数えるほどしかなかった。
確かに名作はあった、良作もあった気がする…しかし、それは片手で数えるほどだ。
そんな俺にとって、スパロボは「ようやくまともに遊べるガンダムゲーム」だった…最初は。
だが、自分が物心付く前のスーパーロボット…ゲッターやマジンガーダイターン3に惚れた。
ライディーンコンバトラーVもいた(弱かったが)…とにかく、お祭り感が凄くよかった。
当時はまだ「◯◯は使えない」「◯◯なしではクリア不能」に近かった時代だったが。
キャンペーン形式のシナリオ(そういえば最近、シュミラマって言わないね)は新鮮だった。
こうして「リアルロボ原理主義者」だった俺は、「スーパーロボット教」に改宗したのだ(笑)
そうこうしてると、今度は「リアル系スーパーロボ」とかも出てくる時代になった。
リアルってなんだろう?スーパーロボって、ナニがスーパーなの?…わからにい。
けど、今ではどんなロボット物も楽しめる(楽しみ方は千差万別だが)ようになった。
自分のロボット好きが、ただのガンダム好きに終わらなかったのはこのゲームのおかげ。


ファイナルファンタジータクティクスプレイステーション、1997年)
本当に素晴らしい物語に必要なもの…それは「余韻」ではないだろうか。
読み終えた時に、呆然と、一種忘我の境地にひたれるような、余韻。
そういう「心理的に凪いだ状態」が持てることが、名作の条件の一つだと思う。
勿論、全てがそうだとは言わないし、それが全てだとも言わないが。
俺は今まで、余韻をもたらす感動は全て、ポジティブなものばかりだと思っていた。
だが、ネガティブな感動、つまり嫌悪や疑念、忌避の感情も余韻を生む。
そしてそれは、ポジティブさが生む余韻とは別種の状況だと知ったのだ。
因みにFFTはその後もFFTAFFTA2とシリーズを重ね、どれも面白かった。
戦術的な自由度や二次創作的な楽しみもさることながら、緻密な世界観が魅力だった。
イヴァリースという架空の世界の、なんとディティール細かなことよ。
そしてその膨大な設定や世界観は、なんら主題たるゲームを邪魔していない。
このゲームのご先祖様にあたる、オウガバトルシリーズもそうだったと思う。
知れば知るほどに、自分の中が豊かになっていくような気がした、あの時は。


グランツーリスモプレイステーション、1997年)
車に全く興味のない人間で、高校卒業が決まったあとも教習所には通わなかった。
運転免許証が身分証明書として優れていると知っても、教習所が怖かったのだ。
だが、頭文字D湾岸ミッドナイトといった、車漫画を読むのが大好きだった。
俺を魅了したのは、スポーツカーやレーシングカー、スーパーカーだ。
同時に、こんな非合法で違法な公道レース、絶対現実の自分はしないぞと誓った。
そんな専門学校時代、初めて車をテーマにしたレースゲームをやった。
それが本作だ…実際にはレースゲームではなく、車生活体験シミュレーションだ。
まず、中古車を買う…ミーハーだから86なんか買ってみて、遅さに驚く。
しょぼいレースでちまちま金を稼ぐ、どーんとNSXとかを買ってみる。
速い、でも思うほど速くない…チューンしてみる、速くなる、が、挙動がおかしい。
サスだ、スタビだといじる、一喜一憂する…みるみる時間は消費されてゆく。
だが、入魂の一台も適当に金をかけた車にあっさりと対戦で負けたりする。
GT-Rを買う、ポンとターボで800馬力…速い、速すぎる…制御できなくなる。
色々やってみて思う、ほんとに車という道具を生み出した人類はすごいな、と。
結果、専門学校生時代に教習所に通い、ひーこらいいながら免許を取った。
社会人になって貯金し、やっと買ったのは…ファミリーカーだった。
でも、グランツーリスモのお陰で、愛車のある幸せを俺は何倍も豊かにできたのだ。


ファンタシースターオンラインドリームキャスト、2000年)
革命だった。
ゲームでの一喜一憂が、本当に現実の俺を揺さぶり、転がし、変えていった。
初めて、「妄想気味にマイストーリーを補完する遊びの人」が一人ではないと知った。
時は大インターネット時代、ダイヤルアップでテレホーダイが盛んだった時期だ。
俺は本格的に二次創作というのをやりはじめたし、色んな人との交流が持てた。
今のその人脈は知己として、俺なんかと交友をもってくれている…ありがたい。
本当に悲喜こもごもだったけど、PSOはコンシューマネトゲという扉を開いたのだ。
今、普通にスマホネトゲが遊べるのも、集約すればここが原点の一つなのだ。
まあ、思い出補正だが。
酷いゲームだったけど、好きだったよ。
友情も、恋愛も、欺瞞も、嫉妬も、確かにPSOの中にあったきがすゆ。
今となってはくっだらない話だが、ゲームに一番真剣だったのは、これかもしれない。
因みにこの「ネットワーク型のアクションRPG」というスタイルは、一時期流行った。
勿論セガも続編を出したし、他のメーカーも参入してジャンルが確立された。
その中で一番うまくやったのが、俺はモンスターハンターだと思っているのだわ。


モンスターハンターGプレイステーション2、2005年)
無印もやってたが、一番やったモンハンは後にも先にもこの一本。
DOSもPシリーズもやった、トライとF以外は全部やってるんだけど。
そしてもうすぐ、やり終えるだろう…長い旅路は、次で終わるか、次の次か…
誰もがいつかは「降りる」時がくる、モンスターハンターXの前か後か。
ただ、貴重な二十代の大半を格ゲーと共に支えた、俺のフェイバリットではあるな。
モンハンに関しては本当に、色々語りたいことが多すぎて言葉にできねえなあ。


世界樹の迷宮ニンテンドーDS、2007年)
このシリーズを後世に残したい…アホだと思われるが、心からそう思える。
二十世紀末、僅か四半世紀で急成長し、様変わりしてしまったコンピューターゲーム
その中で、「クラシック」として生き残れるだけの要素を、ちゃんと形にしたものだからだ。
別に権威でもないし、遺産でもないし、ただそれだけの完成度の作品なのだ。
RPGというジャンルをコンピューターで楽しむ時、なにが必要でなにが邪魔か。
そうした厳選があって、選りすぐった、洗練された形の一つが世界樹の迷宮なのだ。
初代、2、3、4…どれも名作だった、何度でもやりたくなる、幾度となくやってきた。
世界樹は俺とな相いれぬ存在だが、多様性を否定する必要はないと感じている。
個人的には3か4が面白いが、1も2も素晴らしい…1と2の難易度は本当にドM向け。
「ダンジョンRPGが遊びたい」、それだけなら迷わず新世界樹2、これがオススメだが…
世界樹が遊びたい」なら、さてどれを薦めたものか…やはり、3DSの最新作、4かな?
世界樹をクラシックモードで遊ぶというのもいいが、そこは好みの問題だと思う。


以上、私的珠玉の十作品…どうだろうか。
他にも沢山の名作を遊んできたが、この10本をあえて選んだ。
シリーズ物については、自分が一番思い入れの強い物、原点となった物をチョイス。
勿論、全シリーズ遊んでて好きなのもあれば、そうでないものもあるなあ。