【ネタバレ】バケモノの子、見てきました!

普段から、あまり家を出たがるたちではない。
理由がなければ、ずっとPC前から動かない。
人と会うなんてもってのほか、シャイな卑屈根性をこじらせてるので。
夕闇迫る逢魔が時、日の沈むのを待ってしか外出しない。
暑いのもあるけど、日中は気が進まない。
まして映画なんて、人と行くのは考えられない。
レイトショーの方が安いし、経済的だ。
それに、俺の映画の見方は邪道というか、オカシイ。
結局、一人で見るしかないし、そうしたい。
普通、映画を見るって楽しく面白いことだと思う。
勿論、俺だって楽しいしウキウキする、喜ばしい。
けど、見てる角度や着目する視点が違うから。
だから、映画を見たあとおかしなことを口走ると思う。
一種の職業病でもあるだろうけど、それ以前に俺のオカシイ一面だ。
別に、「俺はちょっと見方がお前らと違うぜ!」って気取ってる訳じゃない。
ただ、一人で映画を見るほうが気楽だし、集中できる。
なにより、一緒に見た友人を不快にさせなくてすむ。
自分の中に技術をストックする作業も兼ねてるからね。
もう多分、誰とも映画に行くことはないだろう。
お一人様こそが、オカシイ頭の俺にはちょうどいい。


で、細田監督の「バケモノの子」を見てきました。
泣いた…二回泣いた、ずるい。
本当に素晴らしい映画だった。
家や血、地位ではないなにかが、継承されてゆく物語だ。
どんな形であれ、人はなにかを育むことができる。
人の縁というのは、紐付けられた前提がなくとも、生じる。
親だから、師匠だから、そういうものがなくても成立する。
そうして、成立した「縁」を大事にする人が、次を紡ぐ。
そういう営みの繰り返しが、我々人間を繋いでいるんだと思う。
俺のような出来損ないの欠陥品でさえ、そうではないかと錯覚する。
俺へと繋がる縁の、なんと素晴らしく輝かしい、温かいことか。
俺から誰かへ繋がることがなくても、本当に愛おしく眩しい。
大事にしたいと思う、友達や親を大事にして生きていきたい。


あと、本作で特に語るべきは「プロセスの丁寧さ」である。
物事には順序があって、手段を講じて重ねることが必要だ。
どんなものでも、結果にいたるプロセスというのが存在する。
昨今の娯楽では、そのプロセス自体が足かせになることもある。
しかし、本作は真正面からプロセスに挑み、それを取り込み消化、昇華している。
プロセスの表現が避けられる要因は、「見てる側が面白くないから」、これだ。
結果や実績を手にする者が努力を免れない、そういうプロセスがあるとする。
このプロセスを省略すると、努力に変わる設定や理由、伏線が必要になる。
かといって、努力するキャラクターを面白く楽しく見せるのは、難しい。
なぜなら、人は基本的に努力や反復練習、単調な作業を嫌うからだ。
現実世界のそうしたものから解放されるために、娯楽作品を見るからだ。
でも、この作品ではそうした細かなプロセスが本当に大事にされている。
主人公のレンは、バケモノの弟子になっても、すぐには強くならない。
師匠であるクマテツもまた、突然いい父親、いい先生にはならない。
人は簡単には変われないが、些細なきっかけでちょっぴり変われるのだ。
そういう、プロセスをちゃんと描いていることが、本当に素晴らしかった。
その過程を一緒に追体験してるから、結果が出た時に一緒に泣けるのだ。
素晴らしいアニメーション作品だった、一流のエンターティメントだった。
どんな年齢層、老若男女だれにでも薦めたい傑作だと思いました!