つらつら、つらり、つらつらり

パリは燃えているか…華の都パリは、燃えているのか。
世界に名だたる、人類史に名を刻む都…パリ。
この街を彩る灯火は、芸術と文化、歴史と情熱である筈だ。
断じて、卑劣なテロリズムの黒い炎であってはならない。
あの悲劇から、一週間が経過した。
だが、失ったものはもう取り戻せない。
今はただ、犠牲となった方の冥福を祈る。


先日、NHKアーカイブスの担当者の方から、丁寧なお礼のメールを頂いた。
以前「今日は一日ラジオドラマ三昧」の放送時に、ちょっとした縁ができた。
番組では、視聴者が保存してる古いラジオドラマの録音を募集していた。
NHKには今、過去に放送したラジオドラマの録音が、一部保管されていない。
そのため、広く視聴者から録音テープを募ることになったのだ。
我が家は盲目の父がラジオドラマ好きで、大量のテープがある。
毎週土曜日の夜は、父は必ずラジオドラマを今も録音してるのだ。
その、父の秘蔵のコレクションを、父の快諾もあってNHKに送った。
後日テープは丁寧に返還され、再び父の元へと戻ってきたのだった。
父のコレクションの中から三本、NHKアーカイブスに登録されることになった。
古くは昭和五十年代のものもある、父と半生をともにしてきたカセットテープ…
NHKの担当者の方は、とても親切丁寧な対応で、個人的には嬉しかった。
また是非、三昧シリーズでラジオドラマを取り上げて欲しい。
もしかしたら、父の寄贈したドラマが、全国のお茶の間に流れるかもね。


昨日は仕事が一段落してから、録画してたNHKのドキュメンタリーを見た。
「NEXT 未来のために」という番組で、戦艦武蔵の特集をしていた。
今年のニュースの中でも、俺の心に残っているのは、多くの軍艦の再発見だった。
武蔵は勿論、伊402潜水艦など貴重な歴史資料が、次々と海で発見されたのだ。
引き上げることは難しいだろうが、丁寧な調査で後世に記録を残して欲しい。
で、番組内では、70年前に16歳で武蔵の乗組員となった方が出演されてた。
同い年の親友を、武蔵撃沈のあの海で失った、悲しい過去を持つ老人だ。


戦争とは、なんと無残でむなしい、非生産的な光景なんだろうか。
戦争という非日常は、あらゆる人間性、道徳的価値観を奪い去る。
国家の名のもとに、国民の生命や財産、人権が踏みにじられるのだ。
本来、国家とは国民を守るためのシステム、社会的な枠組みに過ぎない。
そのシステムが、システム自体を守るために国民を死へ追いやるのだ。
矛盾している…国民を守るためのシステムを守るため、国民が死ぬのだ。
そうまでして守らねばならぬ国土、国体というのも、あるかもしれない。
そして、それを守らねばならぬと、それしかないと判断できた時代もあった。
それはいい、常に歴史はその時その瞬間のリアリズムの積み重ねだ。
平成の平和な世を生きる我々の価値観で、歴史を論じるのは軽率だろう。


でも、それでも我々は過去の歴史から学び、未来をよりよくする必要があるはずだ。
そうでなければ、あまりにも救われない…勿論、この世に救いがないことは承知している。
昨今、まだ愚劣な帝国主義思想や、国家間の軍事的ゼロサムゲームは生きている。
人とは、たかだか百年や二百年では変わらない、変われないイキモノかもしれない。
それでも、変わりたい、よりよくありたいという願い、祈りのようなものはあると思う。
過去の歴史がそうであるように、これからも皆、よかれと思うことに全力投球しかない。
…俺は頭が悪いから、そういう人の営みを肯定して、信じるしかないのだわ、おっぱい!


振り返って、ISISをなんとかするには、どうしたらいいだろうか。
俺が思うにまず、単純な「Aを用いて実行、結果として解決」とはならないだろう。
A、B、Cと複数の手段を長期的に用いて、時間をかけて解決するしかない。
また、だれがその手段を講じて用いるかも、非常にデリケートな問題だ。
まず、軍事的行動でISISの組織的なテロ行為を根絶する、ないし弱める。
同時に、テロを生み出す土壌の再検証も必要だと俺は痛感している。
アフリカなんかもそうだが、中東に今まだ足りないのは、教育と経済の安定だ。
高度な教育を受けられない人たちは、限られた仕事でしか収入を得られない。
安定した収入を得られない人間は、どうしても全ての選択肢を狭められてしまう。
そして、選択肢を持たぬ追い詰められた人間の一部は、過激な思想へ傾倒するのだ。
だが、豊かな教育、安定した経済をこうした地域に根付かせるのは、非常に困難だ。
それでもやらねばならないのでは、と思うし、調和と友愛の精神で行わねばならない。
押し付けて文化を破壊し近代化する愚だけは、どうしても避ける必要があるしね。
…まあ、こんなことを言うと「ながやんは馬鹿だなあ」と思われてしまうんだけど。


無人機、ドローンってあるじゃないですか…軍事用の無人攻撃機
そういうテクノロジーは素晴らしいと思うし、人類共通の利益へ成長して欲しい。
反面、酷くおぞましい、とても許容できない存在だとも思っている。
特に、ドローンを用いた戦闘行為というものに、強い嫌悪感を覚える。
人が人を攻撃する時、リスクがほぼゼロに近いというのは、とても恐ろしい。
ドローンの操縦者は遠く離れた施設で、ラジコンを動かすようにして人を殺す。
殺す相手がたとえテロリストであろうと、誤爆で死ぬ無辜の民だろうと、関係ない。
俺が問題にしているのは、「死のリスクを感じない人が、他者を殺せる」ということだ。
俺は正直、人間は銃剣で殺し合ってるくらいがちょうどいいと思っている。
相手を殺す、自分も殺される、そういう50:50のリスクがある方が健全だ。
もちろん異論はあると思うし、俺の考えは極端で間違っているかもしれない。
ただ、人が人を殺す時は、自らの手を汚して生命をさらすリアリズムが必要だ。
そうでなければ、どんどん人を殺す感覚が軽くて空虚なものになるだろう。
安全に攻撃できる手段があるなら、戦争してもいいという思想さえ生みかねない。
俺は、自分の頭がおかしいと思うのだが、兵士は死の危険の中で戦うべきだ。
そして、平時から生き残るための鍛錬を積み、戦地を作らぬ政治を望むべきだ。
くだらない軽薄なロマンチシズムかもしれないが、俺は強くそう思う。