NO RESET NO GAME

先日、「人生はクソゲーのようなもの」というTweetをした。
自分はそれくらいの認識のほうが、気楽でいいよなという意味だ。
そこから転じて、友人と少しメッセージのやり取りがあった。
友人はボードゲームやTVゲームに造詣が深く、とても詳しい。
そして話は弾んで、「リセット&ロードはゲーム性か」という話題になった。
今日は、大昔に専門学校のゲーム学科にいた俺が考えてみたいと思う。


そもそも「ゲーム性」とは、どういったものであろうか。
ひどく曖昧で、確固たる定義が存在しないのに、みんな気にしている。
ユーザーは皆、「ゲーム性が高い=いいゲーム」と評価する傾向がある。
このゲーム性という概念は、どういったもので構成されているのだろうか。
まず、真っ先に考えられるのは「ゲーム性=競技性」であるということ。
ゲーム性とはすなわち、ゲームを成立させるルールの整備やリスク管理
これは誰もが納得できると思う、非常にシンプルでわかりやすい答えだ。
例えばサッカーというゲームでは、シンプルながら細かなルール設定がある。
結果、サッカーはゲーム性豊かなスポーツとして広がっているのではないか。
「手を使わずボールを運べ」「ゴールに入ったボールを得点とする」等、様々。
また、時代に即して最適化され、オフサイドの概念などが取り入れられている。
他にも、ながやんの大好きなCAPCOMの名作、ストリートファイター2ではどうか。
これもまた単純で、それ故に競技性の高い(アラも目立つが)ゲームだった。
1on1の殴り合いで、時間内に相手の体力をより多く奪った方が勝ちである。


次に、ゲーム性と密接に関係しているものが「ゲームバランス」ではないだろうか。
これは実はスポーツにはなくて、ゲーム、つまり遊戯(お戯れ)にしかない。
スポーツの世界では、強い者も弱い者も、一定の基準の下で同等に扱われる。
それに対して、ゲームでは「バランス調整」という製作者の意図が介在するのだ。
ここでゲームバランスがなんのバランスを取ってるかというと、ゲーム性である。
意図的にゲーム性の面白さが保たれるよう、調整してくれているのがゲームバランスだ。
通常、競技性に忠実である限り、リスクのある手を避け、リターンの多い手を多用する。
これは真理だが、ゲームではこれは失敗といえる…なぜだろうか。
スト2でまた例えると、弱いキャラを使う必要がまったくなくなるからだ。
また、強いキャラを使用時、そのキャラが持つ強い技のみを使うようになる。
戦術は先鋭化してゆき、より効率化を突き詰められて、誰もが同じ最適解に到達する。
つまり、みんなが同じことをするようになってしまい、ゲームが成立しなくなるのだ。
ゲーム性とは競技性、そしてスポーツ競技と違いゲームバランスが支えているのだ。
サッカーで「そっちのチーム弱いから、ベッカムを3人入れるね」とか、ないしね。


最後に、ここは俺の私見だが…ゲーム性には「第三の要素」が存在する。
それが、俺なりに30年以上ゲームと接してきて感じた「娯楽性」である。
この娯楽性は、前述の競技性やゲームバランスと微妙に密接な関係にある。
単純に言えば、娯楽性とは「はー、スッキリした!」とか感じる要素のことである。
どんなゲームでも、カタルシスを感じたり、仕組んだ通りに手札が揃うと、面白い。
壮大なグラフィックとサウンドで、その時だけの演出がなされると、キモチイイ。
そして、この娯楽性という要素は、競技性とゲームバランスを絶妙に味付けしている。
スト2では続編で、連続技のHit数を画面に表示するというシステムが導入された。
これが大当たり、誰もが「高得点のコンボ、高威力のコンボ、多段コンボ」を探した。
自分の腕前が直結する連続技という見せ場を、Hit数表示が演出してくれるのだ。
他にも娯楽性は、様々な形であらゆるゲームに散りばめられている、特に昨今はそう。
時に娯楽性は、古い競技性や稚拙なゲームバランスさえ、楽しませてしまうのだ。
勿論、純粋に「高い競技性や優れたゲームバランスが産む娯楽性」も存在する。
しかし同時に、競技性やゲームバランスと別個の「なくてもいいけどキモチイイ」もある。


あ、さて…ゲーム性とはつまり、競技性とゲームバランス、娯楽性の三つ巴である。
競技性とゲームバランスが優れていいても、娯楽性がなければそれはゲームではない。
カイジの漫画に出てくるあれは、ゲームと言えるかな?見てる側にしか言えないだろう。
同様に、ゲームバランスを考慮されていなければ、それは寧ろ純然たる競技である。
単純に強いか弱いかを決める、競技そのものだと言えるだろう(それ自体に良し悪しはない)
そして競技性を欠いたものはもう、ゲーム性云々の話ではないことは周知の事実だ。


で、最初の話題…「リセット&ロードはゲーム性の範疇か」という話題に戻る。
俺なりの結論を述べると、「リセットプレイはゲーム性に含まれる」と解釈します。
リセットプレイは、創作物における「メタフィクション」、つまりメタ要素と言えるのです。
アニメが「アニメという創作物、架空の世界」という前提条件を前に出すのがメタ表現。
ゲームにおいても同じで、それがゲームであることで成立する、リセットプレイ。
ただ、メタ表現は常に「本来の世界観や娯楽性を破壊してしまう」というリスクがあります。
リセットプレイもまた、競技性やゲームバランス、娯楽性を破壊する恐れがありますね。
サッカーでフリーキックを「納得いく結果が出るまで蹴り続けてよし」とすると…
これは既にサッカーという競技ではないし、見ていて面白いものでもないでしょう。
ただ、リセットプレイは「ゲーム性全てを否定するのに、ゲームらしさ」でもある。
ゲームだからこそやり直しがきく、特に一人でプレイするゲームの場合は顕著に。
だからこそ、多人数プレイのゲームでは逆に、リセットする人は少なく感じます。
安易にリセットし、気が済むまでリトライする…これができるのは、ゲームだから。
スポーツ競技ではルール違反ですし、人生においてやり直しはききません。
そういう現実に触れてる人間には、一定数「自分が納得できる結果のみ」を望む声がある。
だから、リセットプレイというのはなくならないし、メーカーも配慮するのでしょう。
因みにながやんがリセットプレイ大好き人間であることも、付け加えておきますネ(笑)