「この世界の片隅に」…最高かよっ!

今日は映画館で「この世界の片隅に」を見てきました。
個人的な感想ですが、率直に言って素晴らしかったです。
昭和20年の広島、呉を舞台にした戦中の物語です。
でも、反戦映画ではない、それを目的にしてないんです。
それが結果的に、より色濃く戦争を映し出していました。
今日は少し、この作品について語りたいと思います。
尚、ネタバレはしないので未見の方もご安心ください。
このブログを読んで、映画館に脚を運んでもらえたら嬉しいです。


物語は、広島の片隅に住むおっとりした女の子、すずが主人公。
すずはマイペースで呑気な娘で、絵を描くことが大好きです。
そんな彼女が、おおらかに育った後、顔も知らぬ男に嫁ぎます。
軍港の街として有名な呉に、昭和19年に嫁に出されました。
お婿さんは立派な青年で、すずをとても大事にしてくれます。
お婿さんの実家での暮らしは、色々ありましたがとても賑やか。
ですが、そんなすずの日常を少しずつ戦争が浸食していきます。
そして、呉の大空襲と広島の原爆投下が、彼女の人生を変えました。
大きく激変した人生は…それでも、終わることなく続いてゆく。
この世界の片隅で、生きてるすずは終わらない、終われない。
残酷な優しさの中、すずもまた傷つきながら成長し、生き続ける。
そういう彼女にとって、戦争が終わり、戦後が始まるドラマです。


まず、自分が感動したのは作中のキャラクターなんですよね。
いつも痛感ですが、創作のキャラクター作りって、難しい。
当たり前だけど、いいキャラを多数登場させ、評価されたい。
商業作品ならば、流行やトレンドが大事なこともあります。
趣味での創作でも、物語にマッチしたキャラを生み出したい。
そんな中で、自然と「っぽさ」が創作の一助になっています。
経験がある方もいるかと思いますし、自分も経験があります。
特にチームワークでの集団作業となる商業創作で多いですね。
「っぽさ」で分類、属性付けして、仕事仲間同士で共有する。
綾波っぽさ」とか「ガンダムっぽさ」とか、そういうのです。
でも、この作品には「っぽさ」がない、全くないんですよ。
キャラ作りが、全くゼロからの創造で、キャラっぽくない。
良し悪しは別にして、劇場アニメならではの素晴らしさです。
普段見てるアニメキャラが、定規やテンプレートで引いた線。
ならば、この作品のキャラはフリーハンドの柔らかさがある。
繰り返します、良し悪しではないです…コストが違うので。
で、今作は曲線に濃淡もあって、「っぽさ」とは無縁でした。
例えば、すずが嫁入した家には、お婿さんのお姉さんがいます。
彼女は少し意地悪というか、すずに強く当たる時もある。
でも、ただ「すずの意地悪な義姉」という作りではないんです。
ガジェットやツールとしての「嫌なキャラ」になってない。
お婿さんのお姉さんも、いい面やかわいい面が沢山出てた。
「シンデレラの姉っぽさ」とか、楽をすることもできた筈。
でも、「っぽさ」を織り重ねたキャラではなかったですね。
それが逆に「本当の人間っぽさ」を持つキャラを生んでました。
人の感情や情緒が、こんなにリアルで豊かだなんて新鮮…
それが、虚構の娯楽表現であるアニメで完全に出し切れてた。
凄いですね、とても感動しました…丁寧な仕事に脱帽です。


次に、やはり戦争という背景を持つ作品なので…
戦争について表現、描写をすることは避けられません。
ですが、作中のキャラクターは戦争を否定してないんです。
何故なら、作中のキャラは全員、戦中当時の人間だからです。
太平洋戦争当時、国民の大多数は戦争を否定しなかった。
できなかったとも言えますし、そういう世界だった。
この世界の片隅…「この世界」とは当時、戦争だった。
戦争やむなし、頑張れ日本、倒せ鬼畜米英という価値観。
これを当時のままに描きつつ、その中の日常に踏み込む。
兵隊頑張ってと言ってた人の、地に足を付けた生活の実態。
この映画を戦争賛美だという論評を聞いたことがありますが…
自分は、それは全然違うと思いますし、断言できます。
賛美した描写はないし、戦争を肯定も否定もしてません。
このフィルムには「戦争と同居した時代の人」がいるだけです。
選択権もなく戦争に巻き込まれ、その中で生きてた人の暮らし。
そういうものをただ描き、ユーモアで愛らしく包んでやる。
大事なのは、作中の人は皆、当時の価値観で生きてること。
我々現代の価値観「戦争は嫌よね」を押し付けてはいけない。
当時のままの姿を見て、作中が当時の価値観だと理解せねば。
その上で、感じたことや考えたことを、現代に活かすべき。
こうした「物語」を入口に、「歴史」を今後も学べばいいだけ。
学ぶべき過去の入門としても、今作はあるがままを描いてます。
作中のキャラは皆、戦争を肯定し賛美してはいません。
ただ、戦争になったからにはベストを尽くし、生きてただけ。
この世界は残念ですが、戦争を回避できる一般市民はいない。
近代の進んだシステムを持つ我々でも、そうなのです。
二十世紀前半の日本では、受け入れ寄り添うしかできない筈。
だからこそ、現代の我々の現実は恵まれてるし、尊い
そして、当時の戦争を学んで総括し、糧にしなければ。


最後になりますが、萌えました…すずが超かわいいです。
そして、大人のアニメです…小さい子供も見に来てましたが。
でも、大人のアニメだと思うし、子供にも楽しめる作品。
大人向けではないです、「大人のアニメ」なんです…(笑)
子供が一目で「背伸びしてでもわかりたい!」って思う作品。
十年後、二十年後も多くの人に見て欲しい作品と感じました。
青森では、新町近くの夜店通り、シネマディクトで上映中。
15:40からの回はレイトショー扱いで、1,100円です。
2月10日までの上映延長も決定し、しばらくやってます。
まだの方は是非、よければみてみてくださいね♪


2016年は、サブカル畑から多くの名作が生まれました。
君の名は。」「聲の形」「シン・ゴジラ」「この世界の片隅に
共通していることは、「良質だから売れた」と納得できること。
はっきり言うと、商業作品は「売れる=いい作品」でもあります。
極論、次回作に繋がって関係者が全員儲かる作品、これが名作。
消費者個人の感想とは別に、作り手が共有できる一番は売上です。
隠れた名作と呼ばれると嬉しいし、一人でも褒めてくれたらいい。
でも、集団作業である商業創作は、全員の勝利である売上が全て。
嫌な話だなあ、と思われるかもしれませんが、でも考えてみて…
上記の四つの作品、売れてて嫌な気持ちになったでしょうか?
むしろ逆です、興行収入がよくて消費者側も嬉しくないですか?
これが、名作のパワー、名作故の説得力なんだと思います。
素直に消費者がいいと思ったものが、成功し利益を得る。
そこに「いいもの、いいことが儲かるよ」という世界がある。
これがいいんです、こういうことを豊かさという気がします。
上記の四作品は、最高の質で作られ、運も良かったですね。
でも、幸運の女神は努力と研鑽を怠らぬ者にだけ微笑みます。
関わる全ての人が、名も無き営業や広報の方もが頑張った。
クリエイターを支え、互いにチームワークでベストを尽くした。
そういうものに対して「すげえ売れた」って結果、最高ですやん?
世の中、そういうことが凄い少ない、難しい時代になってます。
だからこそ、いいものが売れて嬉しい、いいものに触れて楽しい。
そういう幸せが、この作品にも沢山詰まっていましたネ!