劉暁波氏の魂にやすらぎが訪れんことを

先日、ノーベル平和賞を受賞した劉暁波氏が亡くなりました。
氏は中国の民主化活動に貢献し、徹底した非暴力で戦いまし。
否…「敵はいない」と公言していた氏の生き様は、戦いではなかった。
今日は、劉暁波氏と中国に関して思うところを綴りたいと思います。
間違った話や不確定な情報、偏見が含まれると思いますがご容赦を。
なによりもまず、偉大な人権活動家に哀悼の意を表明します。
劉暁波氏のご冥福をお祈り申し上げます。


日本に住んでいると、少しピンとこないことも多いと思います。
まず、隣国である中国は『社会主義国家』であるということ。
この、社会主義というのはどういった政治体系なのでしょうか。
最初に知って欲しいのは、政治の手法に良し悪しはないのです。
よく創作物では、民主主義を善とし、専制君主制を悪とする…
そんな二元論で語られることもあり、それは作劇上いいと思います。
ただ、現実では決してそんなことはないと自分は思います。
国家は『民の生命と財産を守る』という、システムです。
その機能が十全に働いていれば、王様でも大統領でも構わない。
その土地や民族、風土によって、なにが最適かは変わるんです。
因みに社会主義とは『あらゆる財産が国家に帰属する』という制度。
これは個人の自由に反する思想なので、近代ではよしとされません。
また、社会主義は民の個人に財産権を許さず、国家第一主義になりがち。
そうした方向性が行き過ぎれば、全体主義になりやすいでしょう。
北朝鮮なんかが正にそうで、中国にもその傾向はあるでしょうね。
社会主義という思想自体は、決して悪でもなく、一つの手法でしかない。
ただ、それを用いて成功した国家は、過去に一つも存在しないんです。
何故なら、国家を運営するのは欲とエゴを持った人間だからでしょう。


では、民主主義はどういった点が優れているのでしょうか。
それはやはり、選挙制度による民意を、下から上へ伝えられること。
また、多くの民主主義制度は憲法を持ち、国家権力への抑止力がある。
王様の国では、王様が過ちを犯した時に止めることができません。
民主主義では憲法が、指導者に対して多くの制約を設けているのです。
他にも、民主主義では思想や宗教、言論の自由が保証されます。
なぜ、共産主義社会主義では、こうした人権が得られないのか。
それは多くの場合、主体が民ではなく国家になってしまうからです。
民主主義はお題目だとしても、主体が民であるため、民が第一。
そうした構造を持つため、民主主義は現在最もベターとされています。
憲法という安全装置を持ち、民意を吸い上げる機能が実装されている…
故に、100点も0点もとりにくく、常に50点前後が担保されるのです。


さて、そうしたことを踏まえて…劉暁波氏に話を戻しましょう。
何故中国では、人権保護運動や民主化運動が規制、弾圧されるのか。
それは、中国という特殊な国家、国土や民族に深く起因しています。
日本でもそうですが『あの国はいいぞ、あの国みたいに』って話…
よく聞きますね、日本だと北欧あたりがユートピア感ありますよね。
しかし実際には、地球上の国家はどれもオンリーワンなんです。
真似して上手くいくことは少ない、何故なら前提条件が違うから。
ただ、いい点を学んでフィードバックすることは可能でしょう。
ただし、それでも国家が国土と民族に密接であることは大事です。
中国は昔は、長らく王朝が支配する巨大な多民族国家でした。
漢民族だけの国ではなく、四千年の歴史の中では戦国時代もあった。
とにかく巨大な国で、一時は複数の国が乱立していた時期もあります。
時々統一国家になりますが、基本的には小国がひしめく土地でした。
それが今、中華人民共和国という、いわゆる『一つの中国』になった。
しかし、異なる民族や風土をまとめるのは、とても大変なことです。
そのため、中国では共産党一党独裁政治が選択されました。
表向きは共和国を名乗り、選挙制度(のようなもの)があります。
ですが、実態は『共産党王朝』という状態が長く続いています。
余談ですが、何故か社会主義共産主義は独裁者を生みやすいですね。
で、中国は強権的な独裁でなければ、広大な国土を統一できません。
中国では農村部に行けば、一世紀以上も遅れた生活が続いています。
人権意識というものはなく、封建制度が今も続いているのです。
あの巨大な国土、雑多な民族は、本来は統一が不可能なのです。
それを無理にまとめるために、どうしても独裁が必要になる。
なので、民主化をすると…間違いなく中国は分解するでしょう。


もともと中国は、複数の国家が身を寄せ合っている状態です。
国を維持するための独裁が、その目的と手段が入れ替わっている。
国のためではなく、共産党のための独裁が行われているのです。
国を維持する共産党が、共産党を維持するための国を欲した…
一部の人間の既得権益を守るため、こうした構造になってしまった。
そこを糾弾し、自由を求めて活動したのが劉暁波氏という訳です。
劉暁波氏は聡明な方です、民主化の先も見据えていたでしょう。
共産党という巨大な、腐敗しているが機能していた装置が壊れる。
その先にあるのは、長い混迷の時代の始まり、迷走状態です。
それを民主化、自由への通過儀礼としてヨシと取ることもいい。
しかし、実際に国家が破綻してしまうと、どうなるでしょう。
中国は内部分裂を起こし、反中国の国家の介入を受けるかも…
国民のインフラが寸断され、長い暗黒時代を迎えるかもしれません。
それでも、自由と民主主義を求めることに意義があるのだ、と…
劉暁波氏はそこまでわかっていて、活動されてたと思います。
自分はそれを尊い活動だと思いますし、支持してきました。


中国というのは『遅れてきた覇権主義国家』だと思っています。
御存知の通り、二十世紀初頭に列強各国にしてやられた国です。
欧州に搾取され、同じアジアの日本に侵略された後進国でした。
それが今、宇宙にロケットを飛ばすまで成長、拡大しました。
中国の本音は『俺らも昔の列強みたいにやろうぜ』でしょう。
彼らは被害者は経験しましたが、加害者の旨味を知らないんです。
そして、加害者になれる今、国際世論が百年前と変わってしまった。
今、お題目ながら世界は国際協調と調和、対話の精神を尊びます。
でも、中国は加害者をやりたい…やってみたい、是非やりたい。
やられっぱなしでは嫌で、昔の欧州みたいにゴリゴリいきたい。
それが全てではないですが、そうした勢力がいることは事実です。
隣国中国が、そうした中で民主化を拒む理由も見えてきますね。
民主主義は中国にとって『ゴリゴリ列強ぶるための障害』です。
そう見えてしまう、そう疑える国、それが中国と言わざるをえない。
この不信感をお互いの歩み寄りで解消するのも、今後のテーマです。
そのための優秀な人材が、共産党の保身のために殺されてしまった。
悲しいことです…まだまだ混迷のアジアは続きそうですね。